「すべての見えない光」アンソニー・ドーア

 遠く離れた誰かと
  話ができるなんて
  奇跡だということを、
  僕らはすっかり
  忘れてしまっている
アンソニー・ドーア

www.shinchosha.co.jp

お正月休みに読むぞ〜と張り切っていた長編小説です。予想外に手こずりました。なぜかと言うとストーリーの時代背景をちゃんと把握しないまま読み始めたから、日時が行き来することについていけなかったからです。途中から、頭だけで理解しようとするのをやめ、とりあえず最後まで読むんだと腹を括ると、いっきに読むことができました。

 

(作家池澤夏樹さんのレビュー  本書カバーより)

人生には自分で選べないものがたくさんある。たとえば、この小説の主人公であるマリー=ロールというフランスの少女は目が見えない。ヴェルナーというドイツの少年は大戦に巻き込まれる。悲惨とぎりぎりの彼らの運命をその時々に救うのは、貝殻や桃の缶詰、無線で行き交う声と音、いわばモノだ。それに少数の善意の人たち。遠く離れた少年と少女は少しずつ近づき、一瞬の邂逅の後、また別れる。波欄と詩情を二つながら兼ねそなえた名作だとぼくは思う。

 

この「一瞬の邂逅」に向かってストーリーは進んでいくのですが、途中からそれが「どこ」なのかというのが大体わかってきます。

もどかしいような気がしましたが、マリー・ロールとヴェルナーそれぞれの、一見静かにみえて徐々に時代に翻弄されていく日常に心を痛めたり、誰かが差し伸べてくれる善意の手にホッとしたり…

小さなエピソードがまるでミルフィーユのようにいくつも折り重なり、ストーリーに深みを持たせています。

そして予想していたところで「一瞬の邂逅」は訪れるのですが、それは想像以上に豊潤な空間で、読んでいて胸がいっぱいになりました。二人が離れ離れになった後のヴェルナーの顛末も鮮烈でまるで映画のシーンのように心に残っています。

全部読み終えてからすぐもう一度読み始めましたが、今度は戦況も時系列もスーッと入ってきます。そしてやっぱり同じところで胸がいっぱいになりました。自分の乏しい語彙で言い尽くせないのが惜しいです。現代の小説では稀有な「美しくてかなしい」物語だと思いました。

冒頭の新潮社のサイトでは著者のインタビュー記事を読むことができます。

 

 

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さみしいものの唄い止まない 内田良平の詩

「いわし」

いわしの父子(おやこ)が

くたびれて

波に

打ち上げられて 死んじゃった

砂浜に

まっすぐに

背骨のばしてならんでいる

でも

泣いてやらなくて いいんです

これでいいのかもしれません

死んでいても 目の玉は まだ 青い海の色(詩集おれは石川五右衛門が好きなんだ)

 

内田良平、というと同名で明治時代の有名な政治運動家がいますが、この詩を書いた内田良平は昭和の俳優(1924ー1984)です。1963年工藤栄一監督映画「十三人の刺客」鬼頭半兵衛というのが当たり役だったそうです。私はリメイク版しか見てないのでわかりませんが、暴君に忠義を尽くす家臣(三池崇史監督版では市村正親)という役どころ。私のイメージではテレビの時代劇で悪役やってた人、です。越後屋の用心棒で一番腕のたつ人。(時代劇以外にも松田優作探偵物語等に出ていたと思います)

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その内田良平は同人誌に参加する詩人でもあったそうです。昭和のヒット曲に「ハチのムサシは死んだのさ」というのがありますが、その詞は内田の「ハチのムサシ」という詩が元になっています。

「ハチのムサシ」

ハチの

ミヤモトムサシは死んだんだ

とおい

山の奥の畑で

お日様と果し合いをして

死んだんだ

彼の死骸は

真っ赤な夕日に照らされて

麦の穂から

ポトリと落ちて

やっぱり 確かに死んだんだ

勝てなかったお日様や

優しく抱いてくれた土の上で

真っ直ぐな顔で

静かに

空を

むいていた

「いわし」 と似てますね…

詩集のあとがきで自ら「童謡を書いた」と言っているので子供向けに書かれたものなのでしょう。虫、魚、鳥、といった小さな生き物が主人公。しかし内田良平は決して彼らの生き様をコドモの目線に下ろしたりはしません。コオロギやタニシやムカデといった「ちいさきもの」が、ただ生まれ、流れに任せ、時には抗いながら生きて、死んでいく様を眺めるように詠うのです。詩集の根底に一貫して流れているのは「誰でも、いつか死ぬ」この年代の男性特有のニヒリズムでしょうか。カッコつけすぎ…な気もしますけどね。昭和49年と(近代詩などと比較するとという意味で)微妙な古さを持った作品ですから、こういう「無頼と純情」の入り混じった作風は今の若い人にはしっくりこないかもしれません。いい詩があるんだけどなぁ…

「ちょうちょう 3」

絵の具でかいた羽根なんか

涙でのばしたひげなんか

お金でみがいた顔なんか

捨てちまお

雪が降ったら おしまい

猫なで声でおだてるな

ほんとの事を言っとくれ

それをきいたら

花のお墓に

たまった涙を捨てにゆく

今のところ作品集は全て絶版で古書でしか手にはいりません。まー、子供相手にシヌシヌ言ってるワケですから復刊は難しいのかもしれません。似たような詩が多いし。古書も稀少。プレミアついてて結構高かったりします。私がこの人の詩に出会ったのは中学生のとき。図書館にあったボロボロの詩集でした。その時は(越後屋の用心棒は詩も書いてたのかー)と思っただけですけどね。大人になってまた読む機会に恵まれましたが、あとがきに印象深い文章がありました。

 

子供だって、この世で生活しているなま身の人間だ。生活からうける苦しみ、憎しみ、悲しみも、わたしたちと同じように味わっているはずだ。センチメンタルな夢物語で、がまんさせられるほど、子供たちは愚かではない。子供たちを甘くみていると、いまに大きなシッペ返しを食うにちがいない。

立派な大学で教育された人達ばかりで固めた一流企業が、庶民に告発されるようなことを平気でしている集団となっている例がしばしばあるが、このシッペ返しの一つだと言えなくもない。

 

これそのまま今に通じることですね。

 

内田良平は、T・Sエリオットが遺言で、自分の伝記が書かれることを禁じた、という話に共感しています。作品を論じるのに人間性を持ち出すとややこしくなると。

(それ、半分は本音だとおもうけど、半分は照れ隠しなんじゃないですか?)

放蕩無頼の童謡詩集…強がりの純情派が遺したもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

筋金入りのクズですが

一日だけにしようと思っていた「ヤケになる」が予想外に尾を引きました「まあ、なんという事でしょう…」独り言を言ってみますが後の祭り。
わかっているのです。こんなことでは気は晴れない。

どうなりと
勝手になれといふごとき
わがこのごろを
ひとり恐るる。(
石川啄木 悲しき玩具 より)

百年前の人も同じこと考えてた…正直すぎて笑ってしまいます。おかげでリセット出来ました。

 

一握の砂・悲しき玩具―石川啄木歌集 (新潮文庫)

一握の砂・悲しき玩具―石川啄木歌集 (新潮文庫)

 

 

 

 啄木さんの歌集を読んでいたら 彼はしょっちゅう蒲団の中で反省していたみたい。

夜寝る時と朝起きた時…それは人が一番すなおな時間かもしれないですね。

 

人とともに事をはかるに

適さざる

わが性格を思ふ寝覚かな。

 

何となく明日はよき事 あるごとく

思ふ心を

叱りて眠る

 

しかし起きてる時は、盛大に、、毒も吐いていらっしゃいます。

 

一度でも我に頭を下げさせし

人みな死ねと

いのりてしこと

 

どんよりと

曇れし空を見てゐしに

人殺したくなりにけるかな

 

酒と女と借金と、嘘。筋金入りと言ってもいいクズなお方、だったそうですが

 

何故かうかとなさけなくなり、

弱い心を何度も叱り、

金かりに行く 

 

あの頃はよく嘘を言ひき。

平気にて嘘を言ひき。

汗が出づるかな

 

才能にまみれた人なんてどこか破綻しているものですよね。自覚も充分おありになったようです。

 

人がみな

同じ方角に向いて行く。

それを横より見てゐる心。

 

その膝に枕しつつも

我が心

思ひしはみな我のことなり

 

世わたりの拙きことを

ひそかにも

誇りとしたる我にやはあらぬ

 

しかし凡人の私たちは

破れからポロポロこぼれ落ちるものに何故か惹かれてしまいます。

 

人といふ人のこころに

一人づつ囚人がゐて

うめくかなしさ

 

愁ひ(うれい)ある少年の眼に羨みき

小鳥の飛ぶを

飛びてうたふを

 

晴れし空仰げばいつも

口笛を吹きたくなりて

吹きてあそびき 

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かの時に言ひそびれたる 

大切の言葉は今も

胸に残れど 

 

  

新装版 かの蒼空に『坊っちゃん』の時代 第三部

新装版 かの蒼空に『坊っちゃん』の時代 第三部

 

しやべくり捲れ!(しゃべくりまくれ!)小熊秀雄の詩

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インターネット上の図書館青空文庫著作権が消滅した国内外の文学作品が無料で公開されています。

(たまには詩でも読んでみようか。新鮮な気持ちで、先入観なく、詩の世界を味わってみよう。自分が生まれる前の時代の詩人の詩がいいな。)青空文庫の索引には作者と作品名しか書いていなくてタイトルだけでは詩集か小説か随筆か等ジャンルの区別がつきにくいのが欠点です…「詩集」とハッキリ書いてあるという理由だけでダウンロードした小熊秀雄(1901ー1940)名前を聞くのも初めての詩人を選んでみました。

 

  あゝわが馬よ、

友人よ、

私の歌をよつくきいてくれ。

私の歌はぞんざいだらう、

私の歌は甘くないだらう、

お前の苦痛に答える為に、

私の歌は

苦しみの歌だ。(蹄鉄屋の歌  より)

 

初めて読んだ小熊秀雄の詩の第一印象は10代の頃きいたメッセージソングの歌詞みたいです。

昭和初期のプロレタリア系の人なのね…ということは反骨なんだ?じゃあロックみたいなもの?と思ったけれど時代背景を考えればもっともっと切実なメッセージが込められていることがわかります。

 

君はハラワタを隠すな、

ズルイ魚屋のやうに、

理論的な水をぶつかけて

ウロコを新しさうに見せかけるな、(瑞々しい目をもって )

  

お前は我々のめまぐるしい生活に

手錠を嵌めて引きずつてゆく。

コンクリーのうえを、砂利を、

あらゆるものに影を与へて

その影を片つぱしから消してゆく。(太陽へ    )

 

幾千の声は

くらがりの中で叫んでゐる

空気はふるへ

窓の在りかを知る

そこから糸口のやうに

光と勝利をひきだすことができる (馬車の出発の歌)

 

悲しみの歌は尽きてしまつた

残つてゐるものは喜びの歌ばかりだ。(鶯の歌  )

 

 誰かを励ましているような、鼓舞しているような、でもほんとうはきっと 誰より自分がそう信じたいんだろうな。しかし言論統制で発表の場を次々奪われ心も身体も疲れ果てた「馬の胴体の中で考へてゐたい」では正直に弱音を吐いています。

ふるさとの馬よ

お前の胴体の中で

じつと考へこんでゐたくなつたよ

自由といふ たつた二語を

満足にしやべらして貰へない位なら

凍つた夜、

馬よ お前のやうに

鼻からを白い呼吸を吐きに

私は寒い故郷へ帰りたくなつたよ(馬の胴体の中で考へてゐたい)

 

メッセージソング(みたいな詩)も熱い愛のうたも自意識過剰も 素直に受け取るより 気恥ずかしさのようなものが先に立って、身を捩りそうになりながら それでも読みます。

今の時代のほうが自由にものが言えることを保障されているはずなのに、なぜか個人の思想…までもいかないちょっとした意見さえなんだか言いにくい世の中になってきています。自分で自分の首をしめてはいないか…大事なものを見失っていないか…

70年まえの詩人の詩が語りかける シンプルで真っ直ぐなメッセージが響きます

私は、いま幸福なのだ
舌が廻るといふことが!
沈黙が卑屈の一種であるといふことを
私は、よつく知ってゐるし、
沈黙が、何の意見を
表明したことにも
ならない事を知ってゐるから
若い詩人よ、君もしやべくり捲れ、
我々は、だまつてゐるものを
どんどん黙殺して行進していゝ    (しやべくり捲れ)

 

小熊秀雄詩集 (岩波文庫 緑 99-1)

小熊秀雄詩集 (岩波文庫 緑 99-1)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

号泣ひまわり

 

ひまわり HDニューマスター版 [DVD]

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 ひまわり という映画をテレビで見たのは確か十二、三歳の時でした

親が見てたので一緒に見たのだと思います

 

 

十二、三歳といえば普通

思春期に入ろうかというお年頃で 多少色気づいて異性が気になりだすものですが

当時の私はそっち方面には全く疎い子で

興味があることといえば

 戦争映画

大相撲中継

FMの音楽番組 この三つ

 とくに相撲に関してはベースボールマガジン社の月刊相撲を毎月 隔月で発行されるグラフNHKの大相撲特集も毎回買って付録の星取表もつけていました

小学校に入った頃から中学を卒業する頃まではドップリはまっていましたよ

  強引な投げ技にこだわり怪我ばかりしていた平幕の千代の富士

前ミツをとって頭をつけ前に出るスタイルに相撲を変えてメキメキと力をつけ

ついに横綱三重ノ海を破って初金星をあげた一番は今でも目に焼き付いています

youtu.be

あ  ひまわりの話でしたね 失礼しました 

 

そんな愛とか 恋とか 男と女とかに無関心だった私が名作映画 ひまわりを見てどう思ったかですが

 

 たった二週間の結婚生活の後

出征してロシアで行方不明になった男(マルチェロ・マストロヤンニ

男を待ち続け十年経ってしまった女(ソフィア・ローレン

 

正直全く意味がわかりませんでしたね

えーなんでー?自分の旦那でしょうよ

首に縄つけて引っ張ってくりゃ良いのにー 連れ戻せばいいじゃん!て

 

バッサリ  身もフタもない言い草です

しかし(当時は) 本気でそう思いました

十二、三歳の子にあの女の気持ちを分かれっていう方が無理ですけど

もうちょっとこう…寛容であってほしかったなー私

(子供って結構ドライですよね)

 

 

ラブストーリーを理解できなかったというのは

実は ひまわり だけではなくて

 

愛と青春の旅立ち という映画がありましたが

あれはスクリーンで見ました

二本立てでお目当はもう一つの映画だったから ついでに見たという感じでした

 

割と王道のラブストーリーだと今なら思えますがあれも当時は

どこがどう面白いのか理解できませんでした

 

鬼教官こわい

登場人物の一人が自死で発見されるシーンに驚愕(裸で死ぬんか!)

女にうつつ抜かしてちゃダメだね

こんな感想でした

ラストシーンの意味もよく分かってませんでしたよ

 

 

 

小母さんになってから再び ひまわりを 見る機会がありました

今日のタイトルでもわかるように

最後は号泣しまして   涙と鼻水でグザグザになりました

身を引くって切ないねー

誰も悪くないんだよねー

うんうん   シクシク ズズーッ

 

 愛と青春の旅立ちの方はその後 見てはないなぁ…

 

 

 

マストロヤンニかリチャード・ギアかってきかれたら

今なら断然マストロヤンニです

スカッと爽やか男も良いけどネ

 

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ささやかな人生

朝の、地上波のテレビ番組をすっかり見なくなりました

今はBS1ワールドニュースを見ています

少し前は

毎朝子どもが朝食時に情報番組の占いコーナーを見ては一喜一憂していて

テレビより子供の姿を眺めながら

(大人びた口をきくようになったけどやっぱまだ子どもだなー)と思っていました

 

 私は占いというものに関心が薄い方で

見ても大抵すぐ忘れるのですが

ある朝

今日の〇〇座は十年に一度のスペシャルラッキーデー!

というアナウンサーの甲高い声が耳に飛び込んできました

〇〇座 というのは私の星座です

普段は関心がなくても

十年に一度

スペシャ

ラッキー

なんて言われたら、チョットは気になるものです

そりゃ少しは期待するわね

しかし今日のスケジュールはいつもと変わりなく

朝 車で出勤

一日中ひとりで仕事して

まっすぐ家に帰ってくるだけ

家と会社の間にあるのはせいぜい新聞屋と小学校くらいで(あとは畑)すから寄り道する場所すらありません

一体どこにスペシャルなラッキーの入り込む余地があるのか

 

と思っていたらやっぱりなーんにも起こらなくて

晩御飯の食卓について

やっぱ期待するもんじゃないね  ああいうのはすぐ忘れた方がいいね

と思いながら納豆の蓋をあけたら

付属のタレが二個入っていました

………

ラッキーって まさかこれ?

 

「ささやかな人生」

 

アナタの人生 この先 降って湧いたような幸運とかドラマチックな出来事は

何一つ起こりませんからネー

どっか…頭の上の方から誰かにそう言われたような気がしました

 

それがどうした

地道に生きてやるもんネー

ヤケになってふたつのタレを投入した納豆を

必要以上に激しくかき回した夜でした

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納豆は朝より夜派です

 

 

 

 

アーサー・アレキサンダー「オール・ザ・タイム」

ロッコインゲンの乾燥豆を戻して作った煮豆は 美味しく出来上がりました

 

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危うく焦がしそうになったけど…

これなら私でも食べられるわ〜 意外とコーヒーに合います

砂糖を入れるタイミングがはやくて少し固めの仕上がりになっちゃったけど

食感が山栗っぽく素朴で 豆臭さが逆にいい感じの風味

作りかたは花豆と同じ要領だと思います  味付けはこっくり濃いめ  

ラニュー糖 醤油 塩

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これは豆とは全然関係なくて   好きな歌の一つです  

ただただ好き それだけ 

売れなくてバスの運転手をやってたそうですが

初期の曲はビートルズストーンズのアルバムにも取り上げられました

53歳で再起を図ろうとアルバムを作った直後 心臓発作でこの世を去りました

そのアルバムの中の一曲


Arthur Alexander - All The Time

 

 

Lonely Just Like Me

Lonely Just Like Me