愛と平和と今夜のおかず

いや〜……ねぇ…さすがにそれはまずいだろうって。まだ8月だし、だいぶ躊躇はしたんですけど

雨続きで洗濯物が乾かないから、ということを言いわけにしてストーブつけました。

ここんとこ、朝はずっと寒くてですね、何回かストーブのスイッチに手が伸びかけました。そのたび(いやいや、まだ8月半分残ってるよ?ストーブつけちゃったら、夏の終わり、認めちゃうってことでしょ?)と思って、我慢してました。さむーい。半袖ではキビシイ感じです。夜の雨は霙っぽかったし。昨日は一日中ウールのカーディガン羽織ってました。感覚的には九月の終わりか十月みたいな感じかな。

 エコ運転にしておけば、設定した温度以上になったら自動的に消えるし、ちょっとの間だけ!と思ってストーブつけたらね、暖かくはなるけど、なかなか消えないんですよ。日中になっても気温があんまり上がってこないんだな。洗濯物が半乾きになったところでストーブは止めました。あとは余熱でって事で。日中と夜はなんとかやり過ごすけど、朝寒いのはつらいな〜。

朝の気温はヒトケタになっちゃって、芒の穂は開いて、半分黄色くなった葉っぱが道路にいっぱい落ちてて、夏はほんとに行ってしまったようです。さようなら(スイカ、一回しか食べなかった〜泣)

 今日は休日。庭仕事をします。数日間の雨で傷んで倒れてしまった花の剪定と、大きくなりすぎた宿根草の植え替えをするつもり。

グダグダ言ってないで身体を動かす。動かしながら、いろんなことを考えましょう。

 

エリック・ホッファー自伝―構想された真実

エリック・ホッファー自伝―構想された真実

 

 

沖仲仕の哲学者と言われたエリック・ホッファー(1902-1983)は、晩年こんなことを言っています。

私はこれまでずっと、肉体労働をしながらものを考えてきました。すばらしい考えは、仕事をしている時に生まれてきたのです。同僚と話しながら繰り返しの多い作業に汗を流し、頭の中では文章を練り上げたものです。引退した途端、この世のすべての時間が転がり込んできました。しかし自分の頭があまり回らないことに気付いたのです。頭を下げ、背中を伸ばしているのが、何かを考えるには最善の姿勢なのかもしれません。あるいは、魂は、同時に二つの方向に引っ張られることによって、生産的に働くようになるのかもしれません。エリック・ホッファー自伝 構想された真実 」 巻末インタビューより

エリック・ホッファー - Wikipedia

最近ずっとホッファーを読んでいます。この本と「魂の錬金術」(アフォリズム集)すごいなホッファー。まるで今の世の中こうなるってぜんぶわかってたみたいだ。

魂の錬金術―エリック・ホッファー全アフォリズム集

魂の錬金術―エリック・ホッファー全アフォリズム集

 

 

あ、こんなん書いてる場合じゃなかったんだ。

私も考えるんだ。長靴履いて、首にタオル巻いて、スコップで土をおこしながら、地べたに這いつくばって草を抜きながら(ついでに洗濯機も回しながら)深く、深く、考えるんだ。

人類の平和について。それから今夜の夕飯のおかずについて。

どちらもちょっとだけ、愛があればいいんだけどな。

 

 

 

山下清「ヨーロッパぶらりぶらり」

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こないだ(夏、終わったかも)みたいなことを書いたら、お天気が「あっそう、もういいの?いいんだね、じゃーね!」って、拗ねてそっぽむいたみたいに、キーンと寒くなりました。桔梗も咲いたけど、芒の穂も出ちゃったけど…ごめんなさい、まだ行かないで、夏。カンバック、夏。

 

 

ヨーロッパぶらりぶらり (ちくま文庫)

ヨーロッパぶらりぶらり (ちくま文庫)

 

先生が「外む省へ行くと、君はなんのためにヨーロッパへいきたいのか、ときかれるが、お前はなんと答えるか」というので「絵をかくためと、めずらしいところを見物するのが目的です。そのほかになん百万人のなかには、立小便をしたり、裸になったりする人間もいるかもしれないから、そんなのを見れたらおもしろいとおもいます。一番みたいのは、ヨーロッパのルンペンです。」というと「あとの方はいわなくてもいい、はじめの方だけにしておけ」といわれたので、人間は正直にいっていい場合と悪い場合があるので、外む省では、半分だけ正直に答えて、あとの半分は、だまっていることにした。

式場先生に外む省に連れられていくときは、心配で胸がどきどきした。ぼくはおまわりさんや公安官に答えるのがへたで、放浪のとき、なんどもつかまって、どろぼうとまちがえられて、ろう屋に入れられたことがあります。

 

拙いということ

裸の大将放浪記」「書簡集」に続き、山下清の本を読むのはこれで3冊目です。今回は、はじめての海外旅行記。相変わらずの、清節。面白かった。

清の書いたものって、段落とか  。 とか  、 が一切なくてノートにびっしりと書かれている(書籍化の際に関係者が、読者が読みやすいように段落と句読点を入れている)というのは、割と知られた話なんですが、もう一つ、清の書く文の特徴として、ワンセンテンス(一文)が非常に長い、というのがありますね。

それは、昭和のドラマの芦屋雁之助のセリフそのまま「僕は……なので……ので…ので…ので…」って延々、延々と続く感じなんですけど、その長い、〜ので〜ので  の果てにあるオチっていうか、まぁ本人はオチをつけようと思ってるわけじゃないんだけど、それが図星すぎて(読み手が)ドキッとしたり、プッと吹き出したり、延々と引っ張る割に何もなくてズッコケたり…そういうのがね、一つの味なんです。物の見方も独特で面白いの。やっぱ芸術家だなあと。

でもね、この本、

その長い長いワンセンテンスを、読みやすくするために少し短く切ってるんじゃないか?そんな気がするんです。だって(書いてることは面白いけど)ところどころ、とってつけたみたいに、妙にフツーすぎるんだもの。「裸の大将放浪記」のような強烈な文章とは、明らかに違う。あとがきで、この旅行にも付き添った精神科医式場隆三郎が「原稿にはほとんど手を加えてない」と言っているので、清の文章が年齢とともに変化しただけなのかもしれないけど、出版社に原稿が渡った後で、誰かが気を利かせたつもりで直したんじゃないだろうか???……と私が勝手に思っているだけですが。もう昔のことだし確かめようがないですよね。(この本の解説でも赤瀬川原平さんがチラっとその辺のことについて触れています)

山下清というのは本人曰く「ぼくはあたまが弱いので」の人なので、この本で書いてる文章も「つづり方」としてはとても拙いものです。一見子供の作文のようで、でも清は子供じゃなくてオジサンだから、ちょっと、いや、かなりへんてこ。そこのところ、赤瀬川さんは

一つのことをずるずるずるずる追いつめていって、結局は相手がねをあげてしまったところを指先でつかまえるといった文章の書き方

とおっしゃっています。

 

 

話は変わって

昨日ミュージックエアでやってたレナード・コーエンのバード・オン・ア・ワイヤー(1972年春、約一ヶ月間に渡り敢行されたヨーロッパ20カ所のツアードキュメント)をたまたま見てて、芸術を…コーエンの場合は音楽だけど、それをビジネスとして、その真ん中に立ち続けることは、精神的にも、身体的にも、凡人には到底わからない辛さがあるのかな、なんて感じました。

ツアーの最終日

なにがあったか知らないけれど

舞台の上で突然歌えなくなったレナードはステージを中断して楽屋に戻ってしまう

「客は金を払ってるんだぞ?早くステージに戻れよ」マネージャーには罵倒され、楽屋の外からは、大勢の(優しい)ファンの大合唱が聞こえてくる。ほんとは耳を塞ぎたかったんじゃないかしら。ダラダラ涙を流しながら作り笑顔で「今日は、 もう、 歌えないんだ」と言っても、一度走り出したビジネスから降りることは、許されない のですかねぇ。自分の中の欺瞞と戦ってるようにも見えたけど、それは誰にもわからない。歌えない  っていう気持ちの奥にあるものはなんだったのでしょう。

(追記、罵倒は大げさだったかも。説得された、と言ったほうがいいかな。長いツアーでいろんなゴタゴタがあって心身が疲弊したのかもしれないですね)

 

 

「ぼくはあたまが弱いので」あからさまな差別も受けてきた山下清は一方で、それ故に許されていた部分もかなりあったと思うのです。時代が寛容だったというか。何より清には、まるごと受け止めてくれる式場先生がいた…現実の交渉や計算も全て引き受けてくれた。画家、山下清にとって、それは何と幸せな事だったかと、諸事情によりダブルべッドで寝起きしたという二人の「ヨーロッパ珍道中」を読みながら、フト思ったのでした。

 

 

ツアー後半、ナーバスになっているコーエン。イントロを弾き始めると、拍手をする観客に対して「やめて。」と繰り返す。言い訳のように僕の歌はみんな似てるんだ、ていうか同じなんだよな、とおどけていうところ。お客が良かれと思ってする行為は、必ずしも喜ばれるものではないんだなと思った。

 

楽屋でバンドのメンバーに「お前〇〇(曲)の時、寝そうになってただろ?俺も寝そうだったけどな!」と言うところが、ちょっと可笑しかった。イメージと違うから。。

 

草むしり、洗濯、フジロック

今日は朝、涼しいうちに庭の草取りをして…しばらくサボってたからすごいことになってたけど、やっつけ作業で、長く伸びたとこだけザーッと取ってやめました。涼しかったのは最初だけで、スグ暑くなっちゃうんだもの。今日も30度くらいあったと思います。マルハナバチがホリホックの白い花に潜り込んでモゾモゾしていました。お尻がかわいい。

ふと空を見上げると、何かキラキラした金いろの粒がたくさん舞っています。種類はわからないけど樹木の花粉か種だと思います、うちの裏、山だし。気付いたときには、キラキラが 干した洗濯物に満遍なく降り注いでいました 。あーあ…

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昼から、やり直しの洗濯をしながらフジロックライブ配信を見ました。

初めて見たthe birthdayチバユウスケのバンド)かっこ良くて、良すぎて、ちょっと興奮しました。早速調べてみます。ほほう、ギターの人はどっかで見た事あると思ったら〇〇にいた人、ドラムの彼は△△出身なんだ…そうかそうかそうなのか。若いもんにはどうやっても出せないだろう色気をブンブン振りまいて、圧巻。

https://youtu.be/-ExvxgGTplwフジロックじゃないけど)

その後もう一つのチャンネルで見た小袋成彬、雰囲気は伝わってきましたよ(雰囲気以外は、一回見ただけではようわからんかったとです)歌じょうず。

コロンビアから来たバンドは名前忘れちゃったけど、初めて聴くような不思議なリズム、型にはまってないっていうか、そんなのどこ吹く風って感じで楽しんじゃってる。世界は広いね。

こういうのを家にいて見られるって、なんていい時代になったのでしょう。

どのアーティストをオンエアするか、という事には色々と大人の事情もあるのでしょうが、見る方は、じぶんで選べない事で逆に新しいもの、知らなかったものに出会える、それはそれで楽しいことですね。

 

復讐の果てにあるものは…

…なんだろう、 ということを子供達に問いかけた絵本、アニメ。なんとも虚しく、悲しい結末を迎えるおはなしです。母親を狼に殺された子羊チリンの復讐譚。

チリンのすず (フレーベルのえほん 27)

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チリンの鈴・ちいさなジャンボ・バラの花とジョー【やなせ・たかし原作】 [DVD]

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(小さな声で言いますが動画共有サイトでも見られるようです)

 

忙しいあなたのために、アニメ版チリンの鈴 ストーリーの概要(注・結末が書いてあります)

オオカミのウォーに母を殺された子羊チリンは復讐のために牧場を出てウォーを探し当て、オオカミを超える強さを身につけるべく憎い敵であるウォーに弟子入りを志願する。チリンを相手にしなかったウォーだが、チリンの本気を知り、弱肉強食の世界で生き延びるための戦い方を教える。復讐心を糧に厳しい修行に耐え続ける内に、チリンは徐々に恐るべき魔物の姿に変わってしまう。牙を持たない彼の殺しの手段は、研ぎ澄まされた二本の角で突き殺すこと。その角を武器にウォーに何度挑めども仕留められぬ日々を繰り返す中、自分を教え導いてくれた師であるウォーに対する親子にも似た親愛の情がチリンの中に芽生えていく。そして復讐が叶わぬと悟ったチリンは、ウォーとどこまでも運命を共にしてやろうと心に決め、彼の手下となって共に森を荒らしまわるようになる。

やがてウォーは最後の課題としてチリンに生まれ故郷の牧場を襲撃するよう命じ、チリンは言われるままに実行に移す。そして1匹の子羊に襲い掛かろうとしたとき、母羊が我が子を守ろうと立ちはだかる。その様をかつての自分と自分の母親に重ね合わせたチリンは激しく動揺して実行に移せず、自分の本当の目的を思い出し手本と称して羊に襲いかかろうとしたウォーの前に立ちふさがった。

激闘の末、ウォーはチリンの角に突かれ、こうなることがわかっていてあえてチリンを受け入れ鍛えたこと、自分を殺したのがチリンであったことに喜びを感じていたことを伝え、息絶える。

こうして復讐を果たしたものの、チリンは父親同然の存在となっていたウォーを自らの手で殺めてしまったことで深い悲しみに暮れ、異形の姿ゆえに故郷の羊の群れに戻ることもできず、ウォーが抱えていた一匹狼ゆえの孤独を実感と共に噛み締めながら姿を消した。そして以後、彼の姿を見たものはなかったという。(Wikipediaより)

 

最初にアニメを見た時、悲しいな、と思ったのは、チリンがウォーを倒したあと、かつて一緒に暮らした仲間の羊たちから、恐怖と冷たさの入り混じった視線を向けられるところでした。今見てもきっと悲しいと思います。

 

 

 

 

 

 

覚えてますか

少し前に結婚25周年の話をして思い出したのですが

結婚して間もなくの頃、新居で夫の帰りを待ちながら引越しの片付けをしていると、地震がありました。もともと地震の多いところで育っていたので動揺はしませんでしたが、その、新居のあった都市はあまり地震の起きないところだったので、いま結構ゆれたな…とは思いましたね。入院中の母から心配して電話がきたりしましたけど、私のすんでたところには被害は何もありませんでした。しばらくしてテレビをつけると、津波でおおきな被害が出たところがあるというのを知りました(1993年7月12日、北海道南西沖地震

 

あれからもう25年経つんだ…

復興への軌跡 | 奥尻島観光協会

 

大きな災害が起きるたびに、忘れちゃいけない、ということが繰り返し言われますね。

 

あの時、あなたは何をしていましたか。どんな思いでニュースを見ていましたか。

覚えてますか。奥尻のこと。

 

 

反省。

夕方、仕事から帰ってきてテレビをつけたら、昔の映画をやっていました。

(…これ見たことある)

思い出しました。

ミッドナイトクロス [DVD]

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これはね、子供の頃、映画館で見たのです。今だったら、年齢制限で見られないかもしれない、昔はRナントカってなかったからね。

親がどこから貰ってきた映画館の無料招待券、株主招待券?それを渡されて「せっかくだから行っておいでよ」って言われて、きょうだいと一緒にノコノコ出かけて行ったんですよ。その招待券には期限があって、期間中に上映されている映画が見られる、ということで作品は選べない。見る前にどんなストーリーの映画かは全く知りませんでしたが、ジョン・トラボルタが出ているということだけはわかっていました。サタデーナイトフィーバーのヒットで知名度はあったので「片手をあげるあのポーズの人」くらいのことは、子供でも知っていました。

映画館に着くと、お客は、ものすごく太った外国人のおじさんと、工事現場にいそうなパンチパーマのおじさんと、私たちの、四人だけでした。前に座っていたパンチのおじさんは、映画の途中でポップコーンを容器ごと派手にひっくり返しました。どうでもいいことに限って、はっきり覚えているものですね。

ミッドナイトクロス(81年)はこんな映画

B級映画専門の音響効果音マンのジャックは、ホラー映画で使う音を求めて“風の音”を録音しに出かける。そこで車の川への転落事故を目撃した彼は、とっさに川に飛び込みサリーという女性を救うが、同乗していた次期大統領の有力候補は救えなかった。宿の部屋で事故の時に録音していた音を聞いていたジャックは、“銃声”の存在に気がつく。一方テレビでは、同じく偶然、現場に居合わせたというカメラマンが事故を語っていた。(シネフィルWOWOW放送作品紹介より)

 

こういう類の映画を見たのは初めてでしたから、クライマックスのハラハラとラストシーンの衝撃に、連れもそうだったと思いますが放心状態で、無言のままバスに乗って家に帰りました。そして、映画を見てから数日後、ラジオでこの映画の事が話題になり、デ・パルマという監督とドナジオという音楽家の名前を知りました。

今日久しぶりに見て…あ、見たのは途中からですけどね、二度目にもかかわらず結構のめり込んで見てしまいました。ラストシーンは初めて見た時と違う意味で(えええーっ!)と思ったけど、むかしスクリーンを見て感じた素直な(えええーっ!)の方を大事にしよう、鮮烈さと余韻、あれはあれでいいんだろうと、思い直しました。

ほんの一瞬でも、映画のワンシーンをつまみ上げて、一方的な「正しさ」だけの物差しで計ろうとした、今の自分の感覚はホントつまんないな!と、ちょっとだけ落ち込みました。

 

今朝の夢

ずっと前に飼っていた、犬の、夢を見ました。

今朝の夢。連れていたはずの犬がいつのまにかいなくなってしまって、私は一人で探していました。走ろうとしてもなぜか足が鉛のように重くって、ゆっくりしか歩けない。気持ちだけが焦る。目が覚める瞬間、とても不安で、悲しくて、夢だったと気付くまでに少し時間がかかりました。「今のは、夢」とゆっくり言ってみたら、少し落ち着きました。それから部屋の中を見渡して(そうだった、あの子はもういないんだ)と思いました。

もっと前に見た夢では、犬にフードをあげようとしたら容れ物が無い、探しているうちに(おかしいな、昨日は…きのうはフードあげたっけ?あれ?おとといは?その前は?…そういえば、ドッグフード、最近買ってない…何日も食べさせてないってどういうこと?)なぜ?なぜ?と頭が混乱しているところで、目が覚めました。

似たような夢を見て、目覚める度に、もう彼が(犬が)いないことを再認識させられる…何度経験しても慣れない感情です。