しやべくり捲れ!(しゃべくりまくれ!)小熊秀雄の詩
インターネット上の図書館青空文庫。著作権が消滅した国内外の文学作品が無料で公開されています。
(たまには詩でも読んでみようか。新鮮な気持ちで、先入観なく、詩の世界を味わってみよう。自分が生まれる前の時代の詩人の詩がいいな。)青空文庫の索引には作者と作品名しか書いていなくてタイトルだけでは詩集か小説か随筆か等ジャンルの区別がつきにくいのが欠点です…「詩集」とハッキリ書いてあるという理由だけでダウンロードした小熊秀雄(1901ー1940)名前を聞くのも初めての詩人を選んでみました。
あゝわが馬よ、
友人よ、
私の歌をよつくきいてくれ。
私の歌はぞんざいだらう、
私の歌は甘くないだらう、
お前の苦痛に答える為に、
私の歌は
苦しみの歌だ。(蹄鉄屋の歌 より)
初めて読んだ小熊秀雄の詩の第一印象は10代の頃きいたメッセージソングの歌詞みたいです。
昭和初期のプロレタリア系の人なのね…ということは反骨なんだ?じゃあロックみたいなもの?と思ったけれど時代背景を考えればもっともっと切実なメッセージが込められていることがわかります。
君はハラワタを隠すな、
ズルイ魚屋のやうに、
理論的な水をぶつかけて
ウロコを新しさうに見せかけるな、(瑞々しい目をもって )
お前は我々のめまぐるしい生活に
手錠を嵌めて引きずつてゆく。
コンクリーのうえを、砂利を、
あらゆるものに影を与へて
その影を片つぱしから消してゆく。(太陽へ )
幾千の声は
くらがりの中で叫んでゐる
空気はふるへ
窓の在りかを知る
そこから糸口のやうに
光と勝利をひきだすことができる (馬車の出発の歌)
悲しみの歌は尽きてしまつた
残つてゐるものは喜びの歌ばかりだ。(鶯の歌 )
誰かを励ましているような、鼓舞しているような、でもほんとうはきっと 誰より自分がそう信じたいんだろうな。しかし言論統制で発表の場を次々奪われ心も身体も疲れ果てた「馬の胴体の中で考へてゐたい」では正直に弱音を吐いています。
ふるさとの馬よ
お前の胴体の中で
じつと考へこんでゐたくなつたよ
自由といふ たつた二語を
満足にしやべらして貰へない位なら
凍つた夜、
馬よ お前のやうに
鼻からを白い呼吸を吐きに
私は寒い故郷へ帰りたくなつたよ(馬の胴体の中で考へてゐたい)
メッセージソング(みたいな詩)も熱い愛のうたも自意識過剰も 素直に受け取るより 気恥ずかしさのようなものが先に立って、身を捩りそうになりながら それでも読みます。
今の時代のほうが自由にものが言えることを保障されているはずなのに、なぜか個人の思想…までもいかないちょっとした意見さえなんだか言いにくい世の中になってきています。自分で自分の首をしめてはいないか…大事なものを見失っていないか…
70年まえの詩人の詩が語りかける シンプルで真っ直ぐなメッセージが響きます
私は、いま幸福なのだ
舌が廻るといふことが!
沈黙が卑屈の一種であるといふことを
私は、よつく知ってゐるし、
沈黙が、何の意見を
表明したことにも
ならない事を知ってゐるから
若い詩人よ、君もしやべくり捲れ、
我々は、だまつてゐるものを
どんどん黙殺して行進していゝ (しやべくり捲れ)