八木重吉詩集「秋の瞳」

 

八木重吉詩集: 秋の瞳・貧しき信徒・未刊詩群

八木重吉詩集: 秋の瞳・貧しき信徒・未刊詩群

 

 

「秋の瞳」は八木重吉(1898ー1927)が生前に一冊だけ出した詩集です。(死後に刊行されたものはあります)

 

ふるさとの山の中に うづくまったとき

さやかにも 私の悔いは もえました

あまりにも うつくしい それの ほのほに

しばし わたしは

こしかたの あやまちを 讃むるような気持ちになった(ふるさとの山)

 

否定されない

許されている

そんな気持ちになります

 

おもたい かなしみが さえわたるとき

さやかにも かなしみは ちから

みよ、かなしみの つらぬくちから

かなしみは よろこびを

怒り、なげきをも つらぬいて もえさかる

かなしみこそ

すみわたりたる すだまとも 生くるか(おもたい かなしみ)

 

彼が憧れたもの

見ようとしたもの

受け止めようとしたものはなんだったんだろう

 

わたし みづからのなかでもいい

わたしの外の せかいでもいい

どこかに「ほんとうに美しいもの」は ないのか

それが敵であつてもかまわない

及びがたくてもよい

ただ在るといふことが 分かりさへすれば、

ああ ひさしくも これを追ふに つかれたこころ(うつくしいもの)

 

こういうシンプルな、でも決して陳腐な言葉の羅列でない詩を読むとハッとします。

俯瞰している。

いや違うな〜

神か、自然か、わからないけど 何かおおいなるものが見ていて 深い所から語りかけてくるような…それに耳を澄ましているような。

 

こころよ

では いつておいで

しかしまた もどつておいでね

やつぱり ここがいいのだに

こころよ

では 行つておいで(心よ)

 

ほのかにも いろづいてゆく こころ

われながら あいらしい こころよ

ながれゆくものよ

さあ それならば ゆくがいい

「役立たぬもの」に あくがれて はてしなく

まぼろしを 追ふて 限りなく

心ときめいて かけりゆけよ(心よ)

 

言葉は心を受ける容れ物。

 

わたしの まちがひだつた
わたしのまちがひだつた
こうして 草にすわれば それがわかる(草に すわる)

 

八木重吉の詩の世界にしばし心を寄せていると、自分が自分が〜の思考から解き放たれて、解き放たれるからこそ、見えてくるものが あると思うのです。