山下清「ヨーロッパぶらりぶらり」

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こないだ(夏、終わったかも)みたいなことを書いたら、お天気が「あっそう、もういいの?いいんだね、じゃーね!」って、拗ねてそっぽむいたみたいに、キーンと寒くなりました。桔梗も咲いたけど、芒の穂も出ちゃったけど…ごめんなさい、まだ行かないで、夏。カンバック、夏。

 

 

ヨーロッパぶらりぶらり (ちくま文庫)

ヨーロッパぶらりぶらり (ちくま文庫)

 

先生が「外む省へ行くと、君はなんのためにヨーロッパへいきたいのか、ときかれるが、お前はなんと答えるか」というので「絵をかくためと、めずらしいところを見物するのが目的です。そのほかになん百万人のなかには、立小便をしたり、裸になったりする人間もいるかもしれないから、そんなのを見れたらおもしろいとおもいます。一番みたいのは、ヨーロッパのルンペンです。」というと「あとの方はいわなくてもいい、はじめの方だけにしておけ」といわれたので、人間は正直にいっていい場合と悪い場合があるので、外む省では、半分だけ正直に答えて、あとの半分は、だまっていることにした。

式場先生に外む省に連れられていくときは、心配で胸がどきどきした。ぼくはおまわりさんや公安官に答えるのがへたで、放浪のとき、なんどもつかまって、どろぼうとまちがえられて、ろう屋に入れられたことがあります。

 

拙いということ

裸の大将放浪記」「書簡集」に続き、山下清の本を読むのはこれで3冊目です。今回は、はじめての海外旅行記。相変わらずの、清節。面白かった。

清の書いたものって、段落とか  。 とか  、 が一切なくてノートにびっしりと書かれている(書籍化の際に関係者が、読者が読みやすいように段落と句読点を入れている)というのは、割と知られた話なんですが、もう一つ、清の書く文の特徴として、ワンセンテンス(一文)が非常に長い、というのがあります。

それは、昭和のドラマの芦屋雁之助のセリフそのまま「僕は……なので……ので…ので…ので…」って延々、延々と続く感じなんですけど、その長い、〜ので〜ので  の果てにあるオチっていうか、まぁ本人はオチをつけようと思ってるわけじゃないんだけど、それが図星すぎて(読み手が)ドキッとしたり、プッと吹き出したり、延々と引っ張られた割に何もなくてズッコケたり…そういうのがね、一つの味なんです。物の見方も独特で面白いの。やっぱね、文章の本質はテクニックじゃないんだよな〜、と思わされる。

でもね、この本、

その長い長いワンセンテンスを、読みやすくするために少し短く切ってるんじゃないか?そんな気がするんです。だって(書いてることは面白いけど)ところどころ、とってつけたみたいに、妙にフツーすぎるんだもの。「裸の大将放浪記」のような強烈な文章とは、明らかに違う。あとがきで、この旅行にも付き添った精神科医式場隆三郎が「原稿にはほとんど手を加えてない」と言っているので、清の文章が年齢とともに変化しただけなのかもしれないけど、出版社に原稿が渡った後で、誰かが気を利かせたつもりで直したんじゃないだろうか???……と私が勝手に思っているだけですが。もう昔のことだし確かめようがないですよね。(この本の解説でも赤瀬川原平さんがチラっとその辺のことについて触れています)

山下清というのは本人曰く「ぼくは頭がよわいので」の人なので、この本で書いてる文章も「つづり方」としてはとても拙いものです。一見子供の作文のようで、でも清は子供じゃなくてオジサンだから、ちょっとだけへんてこな感じもする。そこのところ、赤瀬川さんはこんな風に解説しています。

いわゆる文章力というのともちょっと違うけれども、一つのことをずるずるずるずる追いつめていって、結局は相手がねをあげてしまったところを指先でつかまえるといった文章の書き方は、そうやって書いているずるずる自体が楽しいのだろう。

 

 

話は変わって

昨日ミュージックエアでやってたレナード・コーエンのバード・オン・ア・ワイヤー(ヨーロッパツアーのドキュメント)をたまたま見てて、芸術を…コーエンの場合は音楽だけど、それをビジネスとして、その真ん中に立ち続けることは、精神的にも、身体的にも、凡人には到底わからない辛さがあるのかな、なんて感じました。

ツアーの最終日

なにがあったか知らないけれど

ステージの上で突然歌えなくなったコーエンはステージを中断して楽屋に戻ってしまう

「客は金を払ってるんだぞ?早くステージに戻れよ」マネージャーには罵倒され、楽屋の外からは、大勢の(優しい)ファンの大合唱が聞こえてくる。ほんとは耳を塞ぎたかったんじゃないかしら。ダラダラ涙を流しながら作り笑顔で「今日は、 もう、 歌えないんだ」と言っても、一度走り出したビジネスから降りることは、許されない のですかねぇ。自分の中の欺瞞と戦ってるようにも見えたけど、それは誰にもわからない。歌えない  っていう気持ちの奥にあるものはなんだったのでしょう。

 

「ぼくはあたまが弱いので」あからさまな差別も受けてきた山下清は、一方でそれ故に、許されていた部分もかなりあったと思うのです。時代が寛容だったというか。

何より清には、式場先生がいてくれた。画家、山下清にとって、それは何と幸運な事だったかと、

諸事情によりダブルべッドで寝起きしたという二人の「ヨーロッパ珍道中」を読みながら、フト思ったのでした。