朝から面白すぎた友川カズキのインタビューの話
仕事中はラジオを聴いています。午前中の番組には毎日日替わりでゲストが出演しますが昨日はフォーク歌手の友川カズキさんでした。歌はほとんど知らないけど、面白いインタビューでした。
友川カズキさんといえば、私の世代では、ドラマ、3年B組金八先生での「トドを殺すな」「犬」。あれで初めて見たという人も多かったんじゃないでしょうか。
いつもながら金八っつぁんと大森巡査の掛け合いが面白い。
アナウンサーから、今日のゲストは友川カズキさんです!と紹介されると
「こんにちは。よろしくお願いします。…シラフなので異常に緊張しちゃって。いつもステージは呑んでやってるもんですから…。ごめんなさい。こういう公の場所に呼んでいただいてありがたく思っております。」
まずは、一曲ひき語りで歌います。ちあきなおみさんに提供した「祭りの花を買いに行く」。私は初めて聴きましたが(あんまり知らないのに言うけど)この歌は高田渡さんみたいな感じがすると思いました。
「祭りの花を買いに行く
村の鈴木商店へ
木々は冴え冴えと天にあり
祭りの花を買いに行く」
「昨日は緊張してほとんど眠れなかった。」四時半に目が覚めてしまったそうです。友川さんは1950年秋田県出身。集団就職で上京後、建築工事現場で働きながら詩を書いていたそうです。歌を歌おうと思ったのは宿舎で岡林信康さんの曲を聴いたのがきっかけ。
「〝今日の仕事は辛かった〟って、オレのことだと思った。そのままだ。(それまで聞いていたフォークソングはふわふわしていて、他人事と思っていた)オブラートに包まなくていいんだと思った。」
中学生の頃、中原中也の骨という詩に衝撃を受けて詩を書き始めた。歌うとは思っていなかったが岡林さんを聴いて、曲をつけていいんだ、そういう方法があるんだと知った。中原中也はめんどくさいスゴイ人。
詩を届けたいという思いで歌を始めた?という問いに
「否、一攫千金を狙ったんです!」とキッパリ。
「当たり前ですよ。公で歌うわけですから。これで食っていけるんじゃないかと。……間違ってた!(全然売れなかった)」
1974年にデビュー。周りの反応は?
「 無いです。猫も杓子もギターを持つ時代。たくさんいたから。」
代表曲「生きてるって言ってみろ」を作ったのは二十歳。泥酔していた。(いつも大抵酔っているらしい)。車の後部座席で喚いているうちにできた。自分の場合は悩まない。いきなり。
昔よく嵐山光三郎さんとつるんで飲みに行っていた。歌え!と言われるが、自分の歌の歌詞を覚えていないのでその場で作って歌う。ワルツという曲はそれでできた。
ちあきなおみさんへ楽曲提供したきっかけは?
友川さんが大阪のテレビ番組で歌っていた(もちろん酔って)のを、たまたま、ちあきさんがみていた。事務所にちあきさんから電話が来て、会うことになった。会った後にライブをみに行くとちあきさんが泣きながらジャニスジョプリンを歌った。度肝を抜かれてしまった。泣いた。自分はジャニスが大好きなのでこれなら書ける、ジャニスのイメージで、と思った。すぐにできた曲。
「夜へ急ぐ人」
紅白歌合戦の司会者に「気持ち悪い歌ですね」と言われた。
あまりにキツイので自分ではうたえない。2、3人殺すくらいの気迫がなければステージに立てない。(実際には歌っています)
ちあきさんが紅白で歌ったので「これで売れる!銀行と付き合わなきゃいけなくなる…電卓を買わなきゃ!などと思ったが全くの杞憂だった(売れなかった)」
だがしかし、今になってカラオケ印税が入ってくる。三ヶ月に一回の振込?が楽しみ。競輪の資金になるので。カレンダーに丸をつけて「ち」(ちあきの、ち)と書いている。
「生活、助かってます」
映画「戦場のメリークリスマス」坂本龍一さんが演じたヨノイ大尉の役は当初、友川さんにオファーが来た。
大島渚監督と面会して「友川くん、訛りは直せる?」と聞かれたので「無理です」と断った。断った後も大島監督にはいろいろ良くしてもらった。
後悔はない?
「無い。あとで映画を見たら坂本さんが英語をしゃべっていた。自分には英語は無理」
近年は海外でも積極的にライブを行なっている。スタッフが話せるので自分は英語ができなくても大丈夫。
海外での反応は?
「自分は携帯を持たないしネットも自分では見ない。しかし皆ネットで自分を見つけ、ネットでCDを買ってくれる。前に撮った映画もみてくれている。ウクライナでのライブは400人入った。日本より多い。今自分がここにいるのはネットのおかげ。」
ニュースを挟んでインタビュー後半。
「夢のラップもういっちょう」競輪の滝沢正光(元)選手に捧げた曲を披露したあとはギャンブルの話題。私は競輪のことはわからないからサッパリだったけど、なにやら、熱く、熱く、語っておられました。
自身のドキュメンタリー映画「どこへ出しても恥かしい人」について。
「どこへ出しても恥かしい人」元々は自分の歌のタイトル。歌は、競輪場の煤けた感じ、落ちぶれた感じ、懐かしい感じ、そこに集う人々へのオマージュだった。自虐だと気付いて歌うのをしばらくやめていたが、映画のタイトルとしては良いと思った。
川崎の小さなアパートで粛々と独り暮らしを続ける。
「独居老人です」
映画は日常を追ったドキュメンタリー。
希代の表現者“友川カズキ”ベールに包まれたカリスマの日常/映画『どこへ出しても恥かしい人』予告編
競輪中心の生活。数年ぶりに息子に会っても競輪場へ連れて行く。四人の息子は全員競輪場へ連れて行った。自分は子供を育てていない。しかし。反面教師でみんな品よく育ってしまった。「貧乏人の子なのにお坊ちゃんのようで、不本意です」(いいお子さんですねと褒められたことに対する照れの発言だと感じました)
ずっと独り暮らしを続けているのは?家族がいても独りを貫いているのは?
「そりゃ自然にそうなります。競輪ばかりしてるから人が離れた。競輪友達だけ。」
独りの良さは?
「ひとりぼっちが基本です。どうなろうと!みたいなところに気持ちを置かないと。時々バチが当たったように大勝ちする、不安定のまま生きているので、お金を持つとより不安になってパーッと使ってしまう。最低でしょう?」
そんなことないです、というアナウンサーに対して
「褒められるような人生送ってないんだ、こっちは」
「人に大事なのは血の気と色気」
近年、ライブに若いお客さんが多いそうですが?
「ネットを見ないので若い人がくる理由はわからない。若い人は飢えていると思う。飢えていないと若くない。年寄りはタカをくくっている。若い人は野生。社会がつまらない。俺を見れば怒っているのがわかる。〝許せない〟(ことがある、ということが)。」
ここから前日の国会中継の話になりヒートアップしました。
「上っ面だけのケンカ。普通にやれよ」
時間切れとなり、アナウンサーから今月と来月のライブ告知。本人、なぜか急にトーンが下がります。
「ライブは種銭稼ぎです」
どんな曲をやるかはその場で呑みながら決めるとのこと。
「売れない歌が山ほどある。ヒットしてないからみんな新鮮です」
ライブ情報、最新ニュースはこちら。アツく泥臭い歌のイメージとは真逆の、洗練されたデザイン、なおかつとてもみやすい公式サイト。
ラジオだから声だけなのに、まるで大きな魚が目の前でバチバチ跳ねているような勢い。これが血の気ってやつなのかな〜。
これでも端折って書きました。聴きたい人は配信で。
映画「どこへ出しても恥かしい人」現在東京でのみ上映されていますが大阪、京都、神戸、名古屋での上映が決定しています。いつか見てみたいなー。
この日のインタビューは。2月21日午前11時50分まで聞くことができます。
NHKらじるらじるのアプリ。聞き逃し配信、ラジオ第一放送、すっぴん!2月14日10時台すっぴんインタビュー。
↑なぜか レナードコーエンのように見える写真。