クリスマスの思い出


チキンライス / 浜田雅功と槇原敬之

私の親は 子どもが欲しがるものを買い与える ということをほとんどしない人達だった

ちいさいうちに贅沢を覚えたら大人になってから苦労する  

というのが理由らしかったが

理由の半分は

金銭的な余裕がなかったからなのだと思う

それでも

最低限のことはしてくれたし  私に希望通りの進路を選ばせてくれたのだからとても感謝している

 

そんな子供時代

一度だけ クリスマスプレゼントをもらったことがある

 

朝起きたら弁当箱ほどの包みが枕元にあった

開けてみると  鮮やかなキミドリ色をした

四角い目覚まし時計だった

 

文字盤のところに

(田舎では)放送されていなくて 名前もわからない

巨大ロボットアニメのキャラクターのイラストが描いてあった

もしかしたら、その頃はもう放送されていなかった昔のアニメだったのかもしれない

 

多分母は近所の時計屋に行って

財布の中身と相談しながら

その時計を選んだのだろう

毎朝

母が何度起こしても起きない私に

もういい加減 一人で起きてくれよ という切なる願いと

予算の都合…

田舎に一軒しかない雑貨屋 件 時計屋のショーケース

という 選択肢から選ばれたその時計

その選択肢の前では

私が

一応女の子で ロボットアニメは全然好きじゃない

という事実は霞んでしまったのかもしれない

 

私も今は

「主婦」とか「妻」とか「お母さん」をやっているので

そのとき その時計を選んだ母の気持ちは

痛いほどわかる

 

そして 欲しいものを買って貰えずに育った

自分の子供時代の

諦めとか遠慮とか

それを思い出すと

自分の子どもには ついつい甘くなってしまう

 

私のお母さんは偉かったなぁ

 

「チキンライス」を聴くと

どうも 切なくなって

涙がこぼれそうになる

 

それは

子どもの頃の自分と

あの時の母の気持ちの

両方に感情移入してしまうからなんだろう

 

 

 

 

 

仕事納め

一足早く昨日が、仕事納めでした

一人で黙々と手を動かしているところに
ボス(しゃちょう)が顔を出しました

職場で誰か人に会うのは10日ぶりくらいでした
あ、いたんだ〜と思いましたが、普通に仕事の話をして、年末の挨拶をして…

話しているうちに
今取り掛かっているお仕事の手順を、私が勘違いしていたことが判明しましたが
「別にいいよ〜それでも。結局◯◯だからさ〜」
とあんまり気にしていないかのように
ボスは笑いました

そうですか

間違えたことには罪悪感を覚えましたが
そのままでもいいってボスがいってるんだから

いいんだよな と

都合よく解釈し

(ホントはやり直して欲しそうに見えたけど?)
余計なことは言わず
そのまま仕事を進めることにしました

こういうところが
若い時に比べて図々しくなったな〜と思います
10代20代の頃は
ほんのちょっと間違えたというだけで
恥ずかしくて
自分が世界中で一番ダメな人間のような気がして
私の間違いに気付いた周りの人が
怒っているかもしれない
バカにしているかもしれない

落ち込んで
どうして良いかわからなくなってオドオドしていました
それを何日も引きずりました

だんだん
自分を責めても意味がないと
さっさと前に進んだ方がいいとわかるようになりました

自分のためにも
周りのためにも


明日から少しずつ家の大掃除をしていきます


今年は少しだけ自分の楽しみのために使える時間が増えたような気がしましたが
来年はどうかな?


週明けは、延ばし延ばしにしていた健康診断に行く予定です
結果は二週間後なので来年
コワー


西岡恭蔵&関ヒトシ「グローリー・ハレルヤ」
西岡恭蔵さんはこれくらいしか知らないけど…良い歌ですね
関ヒトシさんのライブには昔行ったことがあります
また行きたいな〜

ジョー・コッカー「Stingray」


Joe Cocker - Worrier (1976)
(このギターソロはエリック・クラプトンだそうです)

ジョー・コッカーを初めてみたのはテレビ。いや昭和の話ですよ。私は子供でした。

ジェニファー・ウォーンズと一緒に来日したジョー・コッカーはナントカ歌謡祭…みたいな公開番組で映画「愛と青春の旅立ち」の主題歌を歌っていました。
その後、違う番組で松崎しげるが同曲をカバーしていたのを見ました。日本語で「鷲が空を飛ぶ〜」と歌いながら、手をヒラヒラさせていました。そのインパクトが強すぎてジョー・コッカーといえば必ず〝しげるのヒラヒラ〟を連想してしまいます。関係ないのにね。

結婚した頃、夫がジョー・コッカーの歌う「アンチェイン・マイハート」とか「ユー・アー・ソー・ビューティフル」をよく聴いていました。古い曲ですが後年映画の主題歌か何かになってヒットしていたのだと思います。一緒に聴いているうちに良いなーと思うようになりました。
しばらくして、とあるファッションビルで定期的に開催されていた中古レコード市に行った時、若かりし頃のジョー・コッカーのアルバムを何枚か見つけ、悩んだ末に一枚選んで購入してみました。千円くらいだったと思います。

Stingray

Stingray

なんでこれを選んだかというと、伴奏がSTUFFだったから。少なくともハズレではないだろうと踏みました。自分的には「当たり」でした。76年にジャマイカにてレコーディングされたものだそうです。今はCD化もされて簡単に手に入るようなのでそのうち買い直そうかと思っています。

内容はほぼカバーです。これはボブ・ディランの曲。

Joe Cocker - The Man in Me (1976)

正岡子規 「飯待つ間」

暇な昼休み、青空文庫にて読了。

正味2ページほどの小品です。高浜虚子のところに送られてきたこの原稿には、子規本人による猫のスケッチが同封されていました。「ついでに描いてみた。飯待つ間、の文と一緒に載せたらおもしろいんじゃない?」ということだったみたいですが、絵の方は残念ながらボツになりました。

飯待つ間

飯待つ間

 

 

ある昼下がり。

病身の子規は(飯はまだかな)と思いながら、することがないので布団に横になったまま、頬杖をついて外を眺めている。時間を潰すためだけに、庭にあるものを観察し、塀の向こう側の出来事に耳を澄ませる…

 

目の前の出来事をただつらつらと書いただけの、日記風の文章です。ゆっくりとした静かな時間の流れと食事を待つ子規のそわそわした気持ちの対比がいいなぁと思いました。こういうのを読ませちゃうのが、文豪の文豪たる所以ですね。

臥せっていた子規にとっては、食事だけが長い一日の中でメリハリを感じる唯一の時間だったのでしょう。教科書に載っていた有名な俳句しか知りませんでしたが、正岡子規の随筆、もっと読んでみたくなりました。まずは青空文庫から読んでいこうっと。

 

飯待つ間―正岡子規随筆選 (岩波文庫)

飯待つ間―正岡子規随筆選 (岩波文庫)

 

 

 

 今日は久しぶりに一日中スカっと晴れていました

夕焼けが息を呑むほどキレイでした

あんまりキレイな景色をみてしまうと

わたし明日死んでしまうんじゃないか  と心配になります

(ウソです)

 

 

 

 

 

 

自戒

かつて、日本のプロ野球チーム北海道日本ハムファイターズで指揮をとったトレイ・ヒルマンさんが辞任の際、帰国する直前のインタビューで語っていたこと

野球を通して感じた日本人とアメリカ人の違いはなんだったか、と言う質問に対して

少し考え込んだ後、彼はこう答えました

sacrifice(犠牲、犠牲的行為。通訳の方は自己犠牲と訳していました) 

 

なるほどな〜と

それは もしかしたら

野球以外のいろいろなことにも言えることかもしれないな…

と思いました

 

 

で、最近よく思うのですが

 

自己犠牲の精神は美しいけれど

犠牲の心は

他人に強いることではないよなぁ

ホント、これは自戒を込めて、と

最近世の中で騒がれてるいろんなこととか…

聞いてるだけでやんなっちゃうような話がいっぱいありますけど

そう思うのです

 

 

面倒な女の詳細は意外と深かった マルセル・プレヴォーの「田舎」

パリで脚本家として成功しているピエエルの元に故郷イソダンから一通の手紙が届く。

差出人は初恋の女性マドレエヌ。

二人が出会った時ピエエルは十七歳の学生、マドレエヌは二十三歳の若き未亡人。淡い好意を寄せながらも姉弟のようなキスを交わすだけの仲だった。

手紙によれば、再婚した夫の浮気が発覚して憤慨している 自分の今後について是非あなたに相談したい とのこと。

ピエエルは美しかったマドレエヌが現在どうなっているかという興味と、もしかしたら夫への当てつけに自分と関係を持とうとしているのでは?と読んで、これは自分の作品のネタになるかも…と面会の約束に応じる。しかしピエエルはマドレエヌに約束をすっぽかされ、後日マドレエヌからは二通目の手紙が届く…

 

 ここまで読んで、正直(マドレエヌってめんどくさい女だな)と思いましたね

自分から約束を取り付けておいて来ないって…しかも来なかったくせにまた手紙寄越すって…

 

でもこの短編小説のキモは、二通目の手紙にあるんです

なぜ会わなかったのか

実はマドレエヌは約束の場所に居たんです

そして直前まではピエエルに会うつもりだった

しかしこっそり覗いてピエエルの姿を見た瞬間会わないほうがいいと判断してその場を去った(ここまで聞いてもまだめんどくさい女だけどね)

その理由が二通目の手紙に書いてある

これがね、なかなか深いんですよ

ぜひ本編を読んでいただきたいんでネタバレはやめますが、訳が森鴎外で 文章がとても美しいんです

複雑な女心  なんてよく言いますけど

そういうのって女性自身も案外気付いてないんじゃないか

あるいは表現する言葉を持ち合わせていないとか

マドレエヌという女性は16年ぶりにピエエルの姿をみて気づいたんですね  自分の本心に

 

16年越しの想いと、自分の平凡な人生の中で唯一湧き起こった淡い衝動を、ピエエルだけは全て理解してくれるだろう、それで終わりにしよう と手紙をしたためた。

 

そのオンナ心をオッサンのプレヴォーと鴎外が切々と綴ってて、女の私が読んでもちょっと唸っちゃうくらい深い

もしかしたら男である彼らの中にある女性像の方が、現実の女性よりずっと濃縮され純化されたものなのかもしれませんね

 

“女の手紙は行間を読め”

 

 マルセル・プレヴォーの田舎は青空文庫でも読めます(無料ダウンロード)

 

(006)心 (百年文庫)

(006)心 (百年文庫)

 

 

 

 

 

ウェルズ・タワー「奪い尽くされ、焼き尽くされ」

 

奪い尽くされ、焼き尽くされ (新潮クレスト・ブックス)

奪い尽くされ、焼き尽くされ (新潮クレスト・ブックス)

 
 多彩な視点と鮮烈な語りが、人々の静かな絶望、消えずに残った願い、湧き出す暴力の気配を描き出す。アメリカン・ドリームなき21世紀のアメリカ人の姿とその内面を絶妙の心理描写と独特のユーモアで浮き彫りにする全9編。(本書カバー 内容紹介より)

アメリカは今途方も無い荒涼の中にある ”(青山南 翻訳家)という帯文に惹かれて手にした一冊。

不幸のどん底というわけでもないが小さなしくじりや不運が重なってしまう。不安や焦りに燻されるような日々に耐え、今日もあんまりうまくいかない日常をなんとかやり過ごす…この短編集に登場する主人公はそんな人たちで、どうもこれが今のアメリカの「ふつうの人々」らしい。

狡猾な叔父に“大切なもの”を少しづつ搾取されていく男は薄々気づいているがどうすることもできない(茶色い海岸)  些細な嘘とごまかしでしか自分を守る術を知らない少年の密かな願い(ヒョウ) 美しい従姉妹に劣等感を募らせる少女は自ら怪しい男に近づき(野生のアメリカ) 車椅子の老人は“売春婦”が住むという向かいの家の監視を始める(目に映るドア)

事件らしい事はほとんど起きない。日常の断片を切り取って見せる。先が見えない現状を怒りや悲しみで流すでもなく安易に幸福を願うこともしない。ひたすらドライでシニカルな視点。

「下り坂」が特に良かった。“元妻の再婚相手”を車で遠くの病院まで送り届けることになった男、エドの話。エドは、自分の妻子を奪った上に何かに付けて薄っぺらな正論をほざく相手の男にうんざりしながらも(ここでうまくやれば元妻の信頼を取り戻せる)と彼なりの努力をする。しかし起こる出来事は全てエドにとって悪い方に転がってしまう。男との噛み合わない会話、破綻した結婚生活の回想、何がいけなかったのか、なぜこうも自分の人生はうまくいかないのか…不満と怒りが次第に増幅していく様子が丹念な描写で綴られていく。暗い話のはずだが、他人の「踏んだり蹴ったり」はどこか滑稽にも感じてしまう。

それぞれの物語はまるで、照明が消えたかのように唐突に終わる。これで終わり?だからなんなの?結局どうなったの?作者の目線の中に答えを求めても何も示してはくれない。

 夢や希望、そういうものは持ち続けるに越したことはないのかもしれない。しかし、いつの間にか見失ったり忘れたりしながら生きている人は思いの外たくさんいるものだ。ひっそりと、淡々と、時には何かに耐えながら。けっして「諦めている」わけではないのだけれど。