ジョージ・オーウェル「象を射つ」

 

 

(047)群 (百年文庫)

(047)群 (百年文庫)

 

 「市場で象が暴れています」と連絡を受けた警察官が護身用のライフルを手にすると…。群衆に取り囲まれた男の痛切な経験(オーウェル「象を射つ」)隣接した墓地に向かって傾いている三階建てのアパート。ユニークな住人たちの暮らしを描いた武田麟太郎の「日本三文オペラ」。南の島に君臨する行政官と助手は事あるごとに対立していた。屈辱を感じ続けた助手は大胆な行動を決意するが…(モームマッキントッシュ」)。民衆の力が全てを飲みこんでいく物語。

オーウェル(1903-1950)はイギリス植民地時代のインドに生まれ、一度イギリスに帰国、ハイスクールを卒業するとインド帝国警察に入ってビルマに赴任し、五年間を過ごします。これは、そのころの回想録の一部だそうです。

 

日頃自分の仕事を通して、帝国主義のひどいやり方に疑問を抱いていた若き日のオーウェル

しかし、ウサばらしとばかりに一警官である自分に小さな嫌がらせやからかいを仕掛けてくる「土民ども」にはほとほと困り果てていました。気持ちはわかるが勘弁してほしい。

上から言われた仕事を嫌々やっているだけなのに、人々から憎まれ、罵声をあびるのは本当に辛い…板挟みに心を擦りへらし、こんな仕事早く辞めてイギリスに帰りたい、と思う毎日を送っていました。

ある日、発情期の象が市場(バザール)で大暴れしている、という通報を受け、現場へ向かった「私」。象に踏みつけられた苦力(クーリー)の死体を目撃した彼は、念のために護身用のライフルを用意しますが、撃つ気はさらさらありません。殺生はしたくないし、射撃の腕前にも全く自信がない。せいぜい威嚇するだけのつもりです。

さて、逃げた象を探して時間が経つうちに、ふと後ろを振りむくと、千人、いや二千人を超える野次馬が、自分の後ろに集まっていることに気がつきました。暴れる象を、いまから警官がやっつけて(撃ち殺して)くれる(彼らは象の肉が目当て)…まるで芝居の開幕を今か今かと待ちわびるように、皆が期待と興奮の入り混じった視線を彼に向けてきます。そして象の方はというと、もうすっかり興奮は冷め、呑気に畑の横で草を食んでいて、どうみても射殺する必要はない。(飼い主が到着すれば、大人しくいうことをきくだろう)冷静な「私」はそう思うと同時に、しかし、いま自分が象を撃たなければ、群衆をがっかりさせ、自分はこれまで以上に嘲笑の的になるだろう、と考えます。

わたしは、ライフル銃を手にしてそこに立っていたその瞬間、はじめて、東洋における白人支配のうつろなむなしさというものを悟ったのだった。

ここに、銃を手にした白人のわたしが、武器ひとつ持たない土民の群衆の前に立っている。なるほど、見た目には、確かにこの事件の立て役者だ。しかし、本当を言えば、わたしは、背後に控えている、この黄色い顔の連中の意志によって、あちらこちらへ振り回されている、間の抜けたあやつり人形にすぎないのだ。

わたしは、このとき、白人が圧制者となるとき、彼が破壊するのは、自分自身の自由なのだ、ということに気がついた。というのは、彼が一生かかって「土民ども」を威服させることが白人支配の条件である以上、まさかの時には、いつでもその「土民ども」が自分に期待することを、してやらないわけにはいかないからである。

わたしは、いやでも象を撃たなければならない羽目になった。

そして彼は象を撃ちました。過剰なまでに、何度も何度も引き金を弾いて。

誰にも気づかれなかったけど、それは、人々の安全を守るという職業上の使命感からではなかったのです。

 

 

百年文庫、群。

武田麟太郎モームも面白かった。

 

武田麟太郎井原西鶴に心酔していたそう。そうなると西鶴も読んでみたくなってきます。クズのヒモ男、妄想の嫉妬からDVに至る心理描写が、女の私には新鮮と言うかなんというか…へーっそんなことで殴っちゃうのか、やっぱ暴力は弱さの裏返しなんだね。

 

モームの「マッキントッシュ」は、この人(モーム)、これ一体いくつで書いたんだろう?って思うくらい…人生経験を踏まないと書けない話だなと思った。でも30代なんだよね。

横暴だと思っていた上司の振る舞いには全て理由があった、上っ面しか見えなかった部下の、未必の故意が、取り返しのつかない結果を招く、という話。