きょうは…
今日10月10日は、柳ジョージさんの命日です。2011年の今日、63歳でお亡くなりになっています。まだ63歳だったんですね…。
私が小学生のとき自分のお小遣いで初めて買ったLPレコードは、柳ジョージ&レイニーウッドの「rainy wood avenue」というアルバムでした(歳バレる…)
「遺言(my will)」という自分の好きな曲が入っているので買いました。ラジオで聴いて知ってたんですね。シングルカットされてたから。それ以来ソロになってからもずーっとジョーちゃんファンです。
バンドの全盛期は私は小、中学生くらいでしたので、田舎に住んでいたし、レイニーウッド を生で見たことはありません。周りがたのきんトリオやチェッカーズに夢中な時代にこういうのを聴いて「うーん、渋いわね…」と思っていました…変わってたな〜私。
このバンドのすごいところは、一つのバンドの中に、柳ジョージ、上綱克彦、石井清登という、三人の優れたソングライターがいたってとこだと思うんですよ。三人の作った曲が、偏ることなく、結果的にバンドの代表曲、人気曲になっているというね。
weeping in the rain、酔って候(作詞作曲柳ジョージ)
フェンスの向こうのアメリカ、さらばミシシッピー(作曲石井清登)
青い瞳のステラ1962年夏、遺言、プリズナー(作曲上綱克彦)
大人になってからジョーちゃんのソロコンサートには行きました。レイニーウッド も見たかったなぁ。でも、柳ジョージ&レイニーウッド 解散後、ある若手のバンドのツアーサポートに上綱克彦さんが入るというので、上綱さん見たさに、全然知らないそのバンド(the heartだったけか?)観に行ったことがありましたねぇ…。上綱さんめあてでthe heart見に行った人もいないだろうね…
アトランティック移籍後の名盤。
ウーマン&アイ・・・ オールド・ファッション・ラヴ・ソングス
- アーティスト: 柳ジョージ
- 出版社/メーカー: ダブリューイーエー・ジャパン
- 発売日: 1998/06/25
- メディア: CD
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この中に、「娘よ 」という曲があるんです。離婚したために離れて暮らしている娘に10年ぶりに再会した、というストーリー。作詞はトシスミカワ。よくコンサートでも歌ってたけど、特に情感がこもる曲でした。
ソロになってからのアルバムにもlittle childという、子供のことを歌った歌があって。こちらは遠く離れて会えない我が子の幸せを願う、という内容で、こちらも同じ人の作詞です。トシスミカワはシンガーソングライター増田俊郎のペンネーム。ちなみに増田さんにお子さんはいないそうです。
当時、女性シンガー山根麻衣さんが、この曲を聴いて感動して、ジョーちゃんに懇願して、自分のアルバムでカバーしたそうです(ラジオで山根さん本人が言っていました。山根バージョンのlittle childも絶品です。元々の歌詞が男性の言葉遣いだったのを女性が歌っても違和感がないように換えてあるので、普遍性が増したというか。下の動画のは柳ジョージです)
ジョージ・オーウェル「象を射つ」
「市場で象が暴れています」と連絡を受けた警察官が護身用のライフルを手にすると…。群衆に取り囲まれた男の痛切な経験(オーウェル「象を射つ」)隣接した墓地に向かって傾いている三階建てのアパート。ユニークな住人たちの暮らしを描いた武田麟太郎の「日本三文オペラ」。南の島に君臨する行政官と助手は事あるごとに対立していた。屈辱を感じ続けた助手は大胆な行動を決意するが…(モーム「マッキントッシュ」)。民衆の力が全てを飲みこんでいく物語。
オーウェル(1903-1950)はイギリス植民地時代のインドに生まれ、一度イギリスに帰国、ハイスクールを卒業するとインド帝国警察に入ってビルマに赴任し、五年間を過ごします。これは、そのころの回想録の一部だそうです。
日頃自分の仕事を通して、帝国主義のひどいやり方に疑問を抱いていた若き日のオーウェル。
しかし、ウサばらしとばかりに一警官である自分に小さな嫌がらせやからかいを仕掛けてくる「土民ども」にはほとほと困り果てていました。気持ちはわかるが勘弁してほしい。
上から言われた仕事を嫌々やっているだけなのに、人々から憎まれ、罵声をあびるのは本当に辛い…板挟みに心を擦りへらし、こんな仕事早く辞めてイギリスに帰りたい、と思う毎日を送っていました。
ある日、発情期の象が市場(バザール)で大暴れしている、という通報を受け、現場へ向かった「私」。象に踏みつけられた苦力(クーリー)の死体を目撃した彼は、念のために護身用のライフルを用意しますが、撃つ気はさらさらありません。殺生はしたくないし、射撃の腕前にも全く自信がない。せいぜい威嚇するだけのつもりです。
さて、逃げた象を探して時間が経つうちに、ふと後ろを振りむくと、千人、いや二千人を超える野次馬が、自分の後ろに集まっていることに気がつきました。暴れる象を、いまから警官がやっつけて(撃ち殺して)くれる(彼らは象の肉が目当て)…まるで芝居の開幕を今か今かと待ちわびるように、皆が期待と興奮の入り混じった視線を彼に向けてきます。そして象の方はというと、もうすっかり興奮は冷め、呑気に畑の横で草を食んでいて、どうみても射殺する必要はない。(飼い主が到着すれば、大人しくいうことをきくだろう)冷静な「私」はそう思うと同時に、しかし、いま自分が象を撃たなければ、群衆をがっかりさせ、自分はこれまで以上に嘲笑の的になるだろう、と考えます。
わたしは、ライフル銃を手にしてそこに立っていたその瞬間、はじめて、東洋における白人支配のうつろなむなしさというものを悟ったのだった。
ここに、銃を手にした白人のわたしが、武器ひとつ持たない土民の群衆の前に立っている。なるほど、見た目には、確かにこの事件の立て役者だ。しかし、本当を言えば、わたしは、背後に控えている、この黄色い顔の連中の意志によって、あちらこちらへ振り回されている、間の抜けたあやつり人形にすぎないのだ。
わたしは、このとき、白人が圧制者となるとき、彼が破壊するのは、自分自身の自由なのだ、ということに気がついた。というのは、彼が一生かかって「土民ども」を威服させることが白人支配の条件である以上、まさかの時には、いつでもその「土民ども」が自分に期待することを、してやらないわけにはいかないからである。
わたしは、いやでも象を撃たなければならない羽目になった。
そして彼は象を撃ちました。過剰なまでに、何度も何度も引き金を弾いて。
誰にも気づかれなかったけど、それは、人々の安全を守るという職業上の使命感からではなかったのです。
百年文庫、群。
武田麟太郎は井原西鶴に心酔していたそう。そうなると西鶴も読んでみたくなってきます。クズのヒモ男、妄想の嫉妬からDVに至る心理描写が、女の私には新鮮と言うかなんというか…へーっそんなことで殴っちゃうのか、やっぱ暴力は弱さの裏返しなんだね。
モームの「マッキントッシュ」は、この人(モーム)、これ一体いくつで書いたんだろう?って思うくらい…人生経験を踏まないと書けない話だなと思った。でも30代なんだよね。
横暴だと思っていた上司の振る舞いには全て理由があった、上っ面しか見えなかった部下の、未必の故意が、取り返しのつかない結果を招く、という話。
たぬきのしっぽ?
雨が止んだら収穫しようと思っていたズッキーニ。40センチぐらいになってしまいました。先端を握ると棍棒みたい。エイっと振り下ろしてみたくなります。それにしても重い…計ってみたら1.2キロありました。半分はタネをスプーンでくりぬいてからし漬け、もう半分はベーコンと一緒にトマトソースで煮込んでみます。
夫は三連休で、釣り(キャンプ)へ行ってて今日帰る予定です。
出かける前に根掘り葉堀り聞くのは悪いなと思うけど、一応「(もし崖から落ちたりクマにおそわれたりして)行方不明なった時、捜索してもらうのに困るから、ざっくりでいいからどの辺りに行くか場所を教えてほしい」とお願いしています。今回はいつもよりちょっと遠いところみたい。天気が良くないので、ゲリラ豪雨とか大丈夫かな?と心配で電話したいところですがやめておきます。遊ぶ時はなにもかも忘れたいだろうから。それに、その方がいい顔して帰ってくるんですよ。それは多分、私も同じなんだろうと思います。帰宅は7時くらいで、夕食はいらないと連絡がありました。
今日聴いたうた。
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声あんまり変わらないよね。
少し早めに帰ってきた夫はちょっとお疲れ。夜中に大雨だったみたい。釣りも思うようにはできなかったのかな?雨上がりのキレイな空と雲の写真を見せてもらいました。お土産のチーズはあっという間に食べました。美味しかったよありがとう。
おうい雲よ
さっきのニュースで西日本と東日本で厳しい暑さ、と見ました。暑気払いって…意味も時期も違うと思うけど、少しは暑さが紛れそうな写真にしてみました。もちろん今の写真ではなくて、三月に撮った写真です。どうですか?キモチだけでも涼しく…なるわけないか…
おうい 雲よ って…語りかける詩を書いたのは山村暮鳥…だっけ。今日の雲は早足で、とても話しかけるような雰囲気ではありませんでした。朝のうちは山裾まで低く垂れ込めていて、ここいら辺り一帯「雨に煙る森」になりました。ズブ濡れになりたくないので写真を取るのは諦めます。代わりに、いつかの夏の写真を。どこで撮ったかは忘れました。暮鳥が見たのはこんな雲?
おうい雲よ、の詩は、子どもが小学生のとき、学芸会で朗読をやったのを見ました。
おうい雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきそうじゃないか
どこまでゆくんだ
ずつと磐城平の方までゆくんか(雲 山村暮鳥)
興味が出たので詩集を読んでみると、のどかな風景の詩ばかり、と思いきやこんな詩も。
どこかに自分を
凝視(みつめ)ている目がある
たったひとつの
その星のような目
その星のような目(どこかに自分を 山村暮鳥)
今朝は雨の音で5時前に目が覚めてしまったので、録画した映画をみていました。ロシアの文豪の話を全編英語で?そこは敢えて突っ込みません。二組の男女それぞれ、ベッドの上の会話が微笑ましくて、ただそれだけで、見てよかったと思える映画でした。
ワレンチン(ジェームズ・マカヴォイ)の〝初めて〟シーンが良すぎて。素朴さって ある意味強みなのかと思いました。
無知も勘違いもなんて素敵なんだろう。
愛と平和と今夜のおかず
いや〜……ねぇ…さすがにそれはまずいだろうって。まだ8月だし、だいぶ躊躇はしたんですけど
雨続きで洗濯物が乾かないから、ということを言いわけにしてストーブつけました。
ここんとこ、朝はずっと寒くてですね、何回かストーブのスイッチに手が伸びかけました。そのたび(いやいや、まだ8月半分残ってるよ?ストーブつけちゃったら、夏の終わり、認めちゃうってことでしょ?)と思って、我慢してました。さむーい。半袖ではキビシイ感じです。夜の雨は霙っぽかったし。昨日は一日中ウールのカーディガン羽織ってました。感覚的には九月の終わりか十月みたいな感じかな。
エコ運転にしておけば、設定した温度以上になったら自動的に消えるし、ちょっとの間だけ!と思ってストーブつけたらね、暖かくはなるけど、なかなか消えないんですよ。日中になっても気温があんまり上がってこないんだな。洗濯物が半乾きになったところでストーブは止めました。あとは余熱でって事で。日中と夜はなんとかやり過ごすけど、朝寒いのはつらいな〜。
朝の気温はヒトケタになっちゃって、芒の穂は開いて、半分黄色くなった葉っぱが道路にいっぱい落ちてて、夏はほんとに行ってしまったようです。さようなら(スイカ、一回しか食べなかった〜泣)
今日は休日。庭仕事をします。数日間の雨で傷んで倒れてしまった花の剪定と、大きくなりすぎた宿根草の植え替えをするつもり。
グダグダ言ってないで身体を動かす。動かしながら、いろんなことを考えましょう。
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沖仲仕の哲学者と言われたエリック・ホッファー(1902-1983)は、晩年こんなことを言っています。
私はこれまでずっと、肉体労働をしながらものを考えてきました。すばらしい考えは、仕事をしている時に生まれてきたのです。同僚と話しながら繰り返しの多い作業に汗を流し、頭の中では文章を練り上げたものです。引退した途端、この世のすべての時間が転がり込んできました。しかし自分の頭があまり回らないことに気付いたのです。頭を下げ、背中を伸ばしているのが、何かを考えるには最善の姿勢なのかもしれません。あるいは、魂は、同時に二つの方向に引っ張られることによって、生産的に働くようになるのかもしれません。「エリック・ホッファー自伝 構想された真実 」 巻末インタビューより
最近ずっとホッファーを読んでいます。この本と「魂の錬金術」(アフォリズム集)すごいなホッファー。まるで今の世の中こうなるってぜんぶわかってたみたいだ。
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あ、こんなん書いてる場合じゃなかったんだ。
私も考えるんだ。長靴履いて、首にタオル巻いて、スコップで土をおこしながら、地べたに這いつくばって草を抜きながら(ついでに洗濯機も回しながら)深く、深く、考えるんだ。
人類の平和について。それから今夜の夕飯のおかずについて。
どちらもちょっとだけ、愛があればいいんだけどな。
山下清「ヨーロッパぶらりぶらり」
こないだ(夏、終わったかも)みたいなことを書いたら、お天気が「あっそう、もういいの?いいんだね、じゃーね!」って、拗ねてそっぽむいたみたいに、キーンと寒くなりました。桔梗も咲いたけど、芒の穂も出ちゃったけど…ごめんなさい、まだ行かないで、夏。カンバック、夏。
先生が「外む省へ行くと、君はなんのためにヨーロッパへいきたいのか、ときかれるが、お前はなんと答えるか」というので「絵をかくためと、めずらしいところを見物するのが目的です。そのほかになん百万人のなかには、立小便をしたり、裸になったりする人間もいるかもしれないから、そんなのを見れたらおもしろいとおもいます。一番みたいのは、ヨーロッパのルンペンです。」というと「あとの方はいわなくてもいい、はじめの方だけにしておけ」といわれたので、人間は正直にいっていい場合と悪い場合があるので、外む省では、半分だけ正直に答えて、あとの半分は、だまっていることにした。
式場先生に外む省に連れられていくときは、心配で胸がどきどきした。ぼくはおまわりさんや公安官に答えるのがへたで、放浪のとき、なんどもつかまって、どろぼうとまちがえられて、ろう屋に入れられたことがあります。
拙いということ
「裸の大将放浪記」「書簡集」に続き、山下清の本を読むのはこれで3冊目です。今回は、はじめての海外旅行記。相変わらずの、清節。面白かった。
清の書いたものって、段落とか 。 とか 、 が一切なくてノートにびっしりと書かれている(書籍化の際に関係者が、読者が読みやすいように段落と句読点を入れている)というのは、割と知られた話なんですが、もう一つ、清の書く文の特徴として、ワンセンテンス(一文)が非常に長い、というのがありますね。
それは、昭和のドラマの芦屋雁之助のセリフそのまま「僕は……なので……ので…ので…ので…」って延々、延々と続く感じなんですけど、その長い、〜ので〜ので の果てにあるオチっていうか、まぁ本人はオチをつけようと思ってるわけじゃないんだけど、それが図星すぎて(読み手が)ドキッとしたり、プッと吹き出したり、延々と引っ張る割に何もなくてズッコケたり…そういうのがね、一つの味なんです。物の見方も独特で面白いの。やっぱ芸術家だなあと。
でもね、この本、
その長い長いワンセンテンスを、読みやすくするために少し短く切ってるんじゃないか?そんな気がするんです。だって(書いてることは面白いけど)ところどころ、とってつけたみたいに、妙にフツーすぎるんだもの。「裸の大将放浪記」のような強烈な文章とは、明らかに違う。あとがきで、この旅行にも付き添った精神科医の式場隆三郎が「原稿にはほとんど手を加えてない」と言っているので、清の文章が年齢とともに変化しただけなのかもしれないけど、出版社に原稿が渡った後で、誰かが気を利かせたつもりで直したんじゃないだろうか???……と私が勝手に思っているだけですが。もう昔のことだし確かめようがないですよね。(この本の解説でも赤瀬川原平さんがチラっとその辺のことについて触れています)
山下清というのは本人曰く「ぼくはあたまが弱いので」の人なので、この本で書いてる文章も「つづり方」としてはとても拙いものです。一見子供の作文のようで、でも清は子供じゃなくてオジサンだから、ちょっと、いや、かなりへんてこ。そこのところ、赤瀬川さんは
一つのことをずるずるずるずる追いつめていって、結局は相手がねをあげてしまったところを指先でつかまえるといった文章の書き方
とおっしゃっています。
話は変わって
昨日ミュージックエアでやってたレナード・コーエンのバード・オン・ア・ワイヤー(1972年春、約一ヶ月間に渡り敢行されたヨーロッパ20カ所のツアードキュメント)をたまたま見てて、芸術を…コーエンの場合は音楽だけど、それをビジネスとして、その真ん中に立ち続けることは、精神的にも、身体的にも、凡人には到底わからない辛さがあるのかな、なんて感じました。
ツアーの最終日
なにがあったか知らないけれど
舞台の上で突然歌えなくなったレナードはステージを中断して楽屋に戻ってしまう
「客は金を払ってるんだぞ?早くステージに戻れよ」マネージャーには罵倒され、楽屋の外からは、大勢の(優しい)ファンの大合唱が聞こえてくる。ほんとは耳を塞ぎたかったんじゃないかしら。ダラダラ涙を流しながら作り笑顔で「今日は、 もう、 歌えないんだ」と言っても、一度走り出したビジネスから降りることは、許されない のですかねぇ。自分の中の欺瞞と戦ってるようにも見えたけど、それは誰にもわからない。歌えない っていう気持ちの奥にあるものはなんだったのでしょう。
(追記、罵倒は大げさだったかも。説得された、と言ったほうがいいかな。長いツアーでいろんなゴタゴタがあって心身が疲弊したのかもしれないですね)
「ぼくはあたまが弱いので」あからさまな差別も受けてきた山下清は一方で、それ故に許されていた部分もかなりあったと思うのです。時代が寛容だったというか。何より清には、まるごと受け止めてくれる式場先生がいた…現実の交渉や計算も全て引き受けてくれた。画家、山下清にとって、それは何と幸せな事だったかと、諸事情によりダブルべッドで寝起きしたという二人の「ヨーロッパ珍道中」を読みながら、フト思ったのでした。
ツアー後半、ナーバスになっているコーエン。イントロを弾き始めると、拍手をする観客に対して「やめて。」と繰り返す。言い訳のように僕の歌はみんな似てるんだ、ていうか同じなんだよな、とおどけていうところ。お客が良かれと思ってする行為は、必ずしも喜ばれるものではないんだなと思った。
楽屋でバンドのメンバーに「お前〇〇(曲)の時、寝そうになってただろ?俺も寝そうだったけどな!」と言うところが、ちょっと可笑しかった。イメージと違うから。。
草むしり、洗濯、フジロック
今日は朝、涼しいうちに庭の草取りをして…しばらくサボってたからすごいことになってたけど、やっつけ作業で、長く伸びたとこだけザーッと取ってやめました。涼しかったのは最初だけで、スグ暑くなっちゃうんだもの。今日も30度くらいあったと思います。マルハナバチがホリホックの白い花に潜り込んでモゾモゾしていました。お尻がかわいい。
ふと空を見上げると、何かキラキラした金いろの粒がたくさん舞っています。種類はわからないけど樹木の花粉か種だと思います、うちの裏、山だし。気付いたときには、キラキラが 干した洗濯物に満遍なく降り注いでいました 。あーあ…
昼から、やり直しの洗濯をしながらフジロックのライブ配信を見ました。
初めて見たthe birthday(チバユウスケのバンド)かっこ良くて、良すぎて、ちょっと興奮しました。早速調べてみます。ほほう、ギターの人はどっかで見た事あると思ったら〇〇にいた人、ドラムの彼は△△出身なんだ…そうかそうかそうなのか。若いもんにはどうやっても出せないだろう色気をブンブン振りまいて、圧巻。
https://youtu.be/-ExvxgGTplw(フジロックじゃないけど)
その後もう一つのチャンネルで見た小袋成彬、雰囲気は伝わってきましたよ(雰囲気以外は、一回見ただけではようわからんかったとです)歌じょうず。
コロンビアから来たバンドは名前忘れちゃったけど、初めて聴くような不思議なリズム、型にはまってないっていうか、そんなのどこ吹く風って感じで楽しんじゃってる。世界は広いね。
こういうのを家にいて見られるって、なんていい時代になったのでしょう。
どのアーティストをオンエアするか、という事には色々と大人の事情もあるのでしょうが、見る方は、じぶんで選べない事で逆に新しいもの、知らなかったものに出会える、それはそれで楽しいことですね。