復讐の果てにあるものは…

…なんだろう、 ということを子供達に問いかけた絵本、アニメ。なんとも虚しく、悲しい結末を迎えるおはなしです。母親を狼に殺された子羊チリンの復讐譚。

チリンのすず (フレーベルのえほん 27)

チリンのすず (フレーベルのえほん 27)

 

 

チリンの鈴・ちいさなジャンボ・バラの花とジョー【やなせ・たかし原作】 [DVD]

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(小さな声で言いますが動画共有サイトでも見られるようです)

 

忙しいあなたのために、アニメ版チリンの鈴 ストーリーの概要(注・結末が書いてあります)

オオカミのウォーに母を殺された子羊チリンは復讐のために牧場を出てウォーを探し当て、オオカミを超える強さを身につけるべく憎い敵であるウォーに弟子入りを志願する。チリンを相手にしなかったウォーだが、チリンの本気を知り、弱肉強食の世界で生き延びるための戦い方を教える。復讐心を糧に厳しい修行に耐え続ける内に、チリンは徐々に恐るべき魔物の姿に変わってしまう。牙を持たない彼の殺しの手段は、研ぎ澄まされた二本の角で突き殺すこと。その角を武器にウォーに何度挑めども仕留められぬ日々を繰り返す中、自分を教え導いてくれた師であるウォーに対する親子にも似た親愛の情がチリンの中に芽生えていく。そして復讐が叶わぬと悟ったチリンは、ウォーとどこまでも運命を共にしてやろうと心に決め、彼の手下となって共に森を荒らしまわるようになる。

やがてウォーは最後の課題としてチリンに生まれ故郷の牧場を襲撃するよう命じ、チリンは言われるままに実行に移す。そして1匹の子羊に襲い掛かろうとしたとき、母羊が我が子を守ろうと立ちはだかる。その様をかつての自分と自分の母親に重ね合わせたチリンは激しく動揺して実行に移せず、自分の本当の目的を思い出し手本と称して羊に襲いかかろうとしたウォーの前に立ちふさがった。

激闘の末、ウォーはチリンの角に突かれ、こうなることがわかっていてあえてチリンを受け入れ鍛えたこと、自分を殺したのがチリンであったことに喜びを感じていたことを伝え、息絶える。

こうして復讐を果たしたものの、チリンは父親同然の存在となっていたウォーを自らの手で殺めてしまったことで深い悲しみに暮れ、異形の姿ゆえに故郷の羊の群れに戻ることもできず、ウォーが抱えていた一匹狼ゆえの孤独を実感と共に噛み締めながら姿を消した。そして以後、彼の姿を見たものはなかったという。(Wikipediaより)

 

最初にアニメを見た時、悲しいな、と思ったのは、チリンがウォーを倒したあと、かつて一緒に暮らした仲間の羊たちから、恐怖と冷たさの入り混じった視線を向けられるところでした。今見てもきっと悲しいと思います。

 

 

 

 

 

 

覚えてますか

少し前に結婚25周年の話をして思い出したのですが

結婚して間もなくの頃、新居で夫の帰りを待ちながら引越しの片付けをしていると、地震がありました。もともと地震の多いところで育っていたので動揺はしませんでしたが、その、新居のあった都市はあまり地震の起きないところだったので、いま結構ゆれたな…とは思いましたね。入院中の母から心配して電話がきたりしましたけど、私のすんでたところには被害は何もありませんでした。しばらくしてテレビをつけると、津波でおおきな被害が出たところがあるというのを知りました(1993年7月12日、北海道南西沖地震

 

あれからもう25年経つんだ…

復興への軌跡 | 奥尻島観光協会

 

大きな災害が起きるたびに、忘れちゃいけない、ということが繰り返し言われますね。

 

あの時、あなたは何をしていましたか。どんな思いでニュースを見ていましたか。

覚えてますか。奥尻のこと。

 

 

反省。

夕方、仕事から帰ってきてテレビをつけたら、昔の映画をやっていました。

(…これ見たことある)

思い出しました。

ミッドナイトクロス [DVD]

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これはね、子供の頃、映画館で見たのです。今だったら、年齢制限で見られないかもしれない、昔はRナントカってなかったからね。

親がどこから貰ってきた映画館の無料招待券、株主招待券?それを渡されて「せっかくだから行っておいでよ」って言われて、きょうだいと一緒にノコノコ出かけて行ったんですよ。その招待券には期限があって、期間中に上映されている映画が見られる、ということで作品は選べない。見る前にどんなストーリーの映画かは全く知りませんでしたが、ジョン・トラボルタが出ているということだけはわかっていました。サタデーナイトフィーバーのヒットで知名度はあったので「片手をあげるあのポーズの人」くらいのことは、子供でも知っていました。

映画館に着くと、お客は、ものすごく太った外国人のおじさんと、工事現場にいそうなパンチパーマのおじさんと、私たちの、四人だけでした。前に座っていたパンチのおじさんは、映画の途中でポップコーンを容器ごと派手にひっくり返しました。どうでもいいことに限って、はっきり覚えているものですね。

ミッドナイトクロス(81年)はこんな映画

B級映画専門の音響効果音マンのジャックは、ホラー映画で使う音を求めて“風の音”を録音しに出かける。そこで車の川への転落事故を目撃した彼は、とっさに川に飛び込みサリーという女性を救うが、同乗していた次期大統領の有力候補は救えなかった。宿の部屋で事故の時に録音していた音を聞いていたジャックは、“銃声”の存在に気がつく。一方テレビでは、同じく偶然、現場に居合わせたというカメラマンが事故を語っていた。(シネフィルWOWOW放送作品紹介より)

 

こういう類の映画を見たのは初めてでしたから、クライマックスのハラハラとラストシーンの衝撃に、連れもそうだったと思いますが放心状態で、無言のままバスに乗って家に帰りました。そして、映画を見てから数日後、ラジオでこの映画の事が話題になり、デ・パルマという監督とドナジオという音楽家の名前を知りました。

今日久しぶりに見て…あ、見たのは途中からですけどね、二度目にもかかわらず結構のめり込んで見てしまいました。ラストシーンは初めて見た時と違う意味で(えええーっ!)と思ったけど、むかしスクリーンを見て感じた素直な(えええーっ!)の方を大事にしよう、鮮烈さと余韻、あれはあれでいいんだろうと、思い直しました。

ほんの一瞬でも、映画のワンシーンをつまみ上げて、一方的な「正しさ」だけの物差しで計ろうとした、今の自分の感覚はホントつまんないな!と、ちょっとだけ落ち込みました。

 

今朝の夢

ずっと前に飼っていた、犬の、夢を見ました。

今朝の夢。連れていたはずの犬がいつのまにかいなくなってしまって、私は一人で探していました。走ろうとしてもなぜか足が鉛のように重くって、ゆっくりしか歩けない。気持ちだけが焦る。目が覚める瞬間、とても不安で、悲しくて、夢だったと気付くまでに少し時間がかかりました。「今のは、夢」とゆっくり言ってみたら、少し落ち着きました。それから部屋の中を見渡して(そうだった、あの子はもういないんだ)と思いました。

もっと前に見た夢では、犬にフードをあげようとしたら容れ物が無い、探しているうちに(おかしいな、昨日は…きのうはフードあげたっけ?あれ?おとといは?その前は?…そういえば、ドッグフード、最近買ってない…何日も食べさせてないってどういうこと?)なぜ?なぜ?と頭が混乱しているところで、目が覚めました。

似たような夢を見て、目覚める度に、もう彼が(犬が)いないことを再認識させられる…何度経験しても慣れない感情です。

 

 

 

if all men are truly brothers


Comment2

 《今日は多くの若者を前に話ができて大変うれしい。君たちの表情は明るく、君たちはこの世界を救う方法があると信じている。僕も同じだ。互いに憎しみあい、走り回る人はもういらない。ワシントンのホワイトハウスの連中みたいに、互いの名を呼び合って、振る舞ったりする必要はない。もう戦争はごめんだ。この世に必要なのは、ほんの少しの愛と平和だ。戦争はうんざりだ。毎日が戦争という人もいるが、その必要はない。さぁ、こっちに来てくれ、美しい若者のコーラス隊がいるんだ。ある日、僕は、自分が常日頃から感じている気持ちを正確に綴った歌を聴いたので、それをみんなに教えたい。それは「コメント」という歌で、互いに愛し合う人類についての語りなんだ》

〈すべての人類が本当の兄弟なら。なぜ僕たちは互いの思いを理解し合えないのか。愛と平和が海から海を越えて、渡っていくように。誰か僕の意見に賛同してくれないか〉レスマッキャン 「コメント」(70年)ライナーノーツより

 

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comment 原曲はチャールズ・ライトが「ワッツ103rdストリートリズムバンド」名義で発表したシングル盤(69年)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホイットマンのワルツ(Waltz Whitman )

ホイットマンは言った

 

歌い続けること。走り続けること。

心のおもむくままに、歩をすすめること。

陽気に自覚して 、歩み、歩みつづけること。

つねに、宇宙の、壮大な空気を呼吸すること。

心臓から汚れない血液を勢いよく送り出すこと。ばら色のからだを、大切にすること。

じぶん自身を自分自身の、全面的で、絶対的な、主人とすること。

けれども、他人の言葉に耳傾けて、じっくりと考えること。

立ち止まり、探し回り、受けとり、考えぬいて、

穏やかに、しかし決然として、かたること、手で何かを掴むこと。

何一つ拒まず、一切を受け入れること。

そののち、じぶん独自のかたちに、一切を作り直すこと。

長田弘 著  アメリカの61の風景  60 ホイットマンのワルツ より)

 ホイットマンの詩行に基づく集合詩(アサンブラージュ)。底本は岩波文庫ホイットマン詩集「草の葉」(全3巻 杉木喬、鍋島能弘、坂本雅之 訳)

 

 

 極上のロードエッセイ

アメリカの61の風景

アメリカの61の風景

 

(あとがきより抜粋)

アメリカの61の風景』 は、この20年あまり北米大陸をじぶんで運転して走り、一州をのこしてぜんぶの州を走って、ほぼ十万マイルにおよんだ旅に基づいている。

ヘンリー・ジェイムズは旅について「じぶん自身の感覚の掟に従うことだ」と言った。「どんな感じだい、じぶん自身だけだということは」とボブ・ディランはうたった。そのとおり、ランド・マクナリー社の地図のみを道づれとして、旅し、旅を続けて、そのような旅の先に見えてきたものとして記しておきたかったのは、アメリカのなかにあるヴァニシングポイント(消尽点)だった。

風景は時間だと思う。風景は風景がその時くれる時間なのだ。

61の風景、その場所に立って、詩人長田弘が考えたこと。感じ、得た言葉。

小さな町に降り立つ。その町の本屋、図書館でその土地の詩人の言葉に触れる。

大草原に佇み、存在の重さから解放され、透明な感覚になる。途方もない広大な光景は、逃れようもなく  大きな眼差しのようだ…

忘れたくないフレーズがたくさん。何度も読み返す本です。

今日は、ホイットマンのワルツが響きました。

こころも からだも しなやかで 強く ありたい。

listentomybluebird.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

眠れない夜に


僕のサラダガール- Salad girl

これはシングルとは違うアレンジですね、こちらの方がいいかも。

 

夜、寝たいのに目が冴えて眠れませんでした。なんでだろうって考えてたら、たぶん風呂上がりに飲んだアイスコーヒーが原因かなって。子供か。

眠れなくて。

夜中にふと思い出したのですが、子供の頃、私の持ってるレコードを母親が知らないうちに聴いてその感想を言ってくることがありました。母は、特に音楽に詳しいわけではなく、普通にテレビやラジオから流れてくる、主に演歌や歌謡曲を、きこえてくるままに聞いていた人だったと思います。

母が「良いね」と言ったのは、ゴダイゴの「僕のサラダガール」と柳ジョージとレイニーウッドの「フォーリンダウン」という、どちらも英語詞の歌でした。当時の私は、母が「良いね」と言ったことよりも(人のもの勝手にさわらないでよ!)という思いが強く、好きな歌について母と話すなんてことはありませんでした。勿体無いことしたな、ちょっと悔やみます。かあさん演歌以外もきくんだね、いや演歌も結構良いよね、とかそんな話 してみたかった。

そういえば母は、突然クラシックギターを買ってきて家族を驚かせたことがありました。え?ギター始めるの?絶対続かないと思ったし、いつ練習してたのか全然わからなかったけど、定番の禁じられた遊びとか、ロシア民謡とか古賀メロディとか、ちゃんと弾いて、弾きながら歌ってたっけ…見せてくれたのはたった一回だったけど。あの人、音楽好きだったんだ、今わかった、気がついた、遅すぎて悲しくなります。でも、やりくりして、自分でギター選んで買って、教本も買って、誰もいない時ひとりで練習してたんだ、ちゃんと一人になれる時間を作って楽しんでたんだ、と思うとちょっとホッとしたりもします。

 

母が好きだと言った「僕のサラダガール」は、ゴダイゴ76年のデビュー曲ですが、私がレコードを買ったのはもう少し後。ドラマの西遊記、の音楽をゴダイゴが担当して「ガンダーラ」とか「モンキーマジック」が流行った頃です。ドラマで流れる曲が良いなぁと思ってもうちょっと聴いてみたいと思ったんです。ガンダーラモンキーマジックは友達が持ってたので私は違うのにしようって。小学生でしたが、ゴダイゴはチビッコにも大人気 笑。いや、でも真面目な話、今聴いても相当カッコいいですよ、ゴダイゴって。(月々の小遣いはもらってなかったんでお年玉で買っていました)

当時の自分は、サラダガールよりB面「イエローセンターライン」の方が断然良いと思っていました。今はサラダガールも好きです。


YELLOW CENTER LINE

歌詞は奈良橋陽子さん。車で「不慣れな急カーブの山道」を走行して怖かった、という思い出を元に書かれたそうですが、それがこうなるんですか、っていう感じで、カッコいい。

話は変わりますけど「西遊記」のあと出た、ゴダイゴのアワーディケイドour decade(79年)というのは「70年代の総括」という大きなテーマのコンセプトアルバムなのですが、陽子さんの英語詞に山本安見さんの日本語訳が付いていて、一つ一つの曲にそれぞれ英語と日本語で解説が付いていました。難しかったけど当時の若いファンは若いなりに、そのメッセージをちゃんと受け取ったと思います。私もそのつもりです。70年代から80年代へ…の内容が、驚くほど今の時代に重なる。すごい。

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ジョーちゃんの話はまたいつか。

 

 

listentomybluebird.hatenablog.com

 

 

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