ホイットマンのワルツ(Waltz Whitman )
ホイットマンは言った
歌い続けること。走り続けること。
心のおもむくままに、歩をすすめること。
陽気に自覚して 、歩み、歩みつづけること。
つねに、宇宙の、壮大な空気を呼吸すること。
心臓から汚れない血液を勢いよく送り出すこと。ばら色のからだを、大切にすること。
じぶん自身を自分自身の、全面的で、絶対的な、主人とすること。
けれども、他人の言葉に耳傾けて、じっくりと考えること。
立ち止まり、探し回り、受けとり、考えぬいて、
穏やかに、しかし決然として、かたること、手で何かを掴むこと。
何一つ拒まず、一切を受け入れること。
そののち、じぶん独自のかたちに、一切を作り直すこと。
(長田弘 著 アメリカの61の風景 60 ホイットマンのワルツ より)
ホイットマンの詩行に基づく集合詩(アサンブラージュ)。底本は岩波文庫ホイットマン詩集「草の葉」(全3巻 杉木喬、鍋島能弘、坂本雅之 訳)
極上のロードエッセイ
(あとがきより抜粋)
『アメリカの61の風景』 は、この20年あまり北米大陸をじぶんで運転して走り、一州をのこしてぜんぶの州を走って、ほぼ十万マイルにおよんだ旅に基づいている。
ヘンリー・ジェイムズは旅について「じぶん自身の感覚の掟に従うことだ」と言った。「どんな感じだい、じぶん自身だけだということは」とボブ・ディランはうたった。そのとおり、ランド・マクナリー社の地図のみを道づれとして、旅し、旅を続けて、そのような旅の先に見えてきたものとして記しておきたかったのは、アメリカのなかにあるヴァニシングポイント(消尽点)だった。
風景は時間だと思う。風景は風景がその時くれる時間なのだ。
61の風景、その場所に立って、詩人長田弘が考えたこと。感じ、得た言葉。
小さな町に降り立つ。その町の本屋、図書館でその土地の詩人の言葉に触れる。
大草原に佇み、存在の重さから解放され、透明な感覚になる。途方もない広大な光景は、逃れようもなく 大きな眼差しのようだ…
忘れたくないフレーズがたくさん。何度も読み返す本です。
今日は、ホイットマンのワルツが響きました。
こころも からだも しなやかで 強く ありたい。
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