ブロードウェイの天使

老いぼれで身寄りのないノミ屋の「ベソ公」のところに、ある日若い男が飛び込んできます。傍に彼の娘らしい小さな女の子を連れて。

「次のレースまであと何分ある?」

「25分だよ」

「俺はこのレースの“確かな”情報を手に入れたんだ。これから14丁目の知り合いのところに行って20ドル借りてくるから、あの馬に俺のぶんをかけてくれ。保証にこの子を置いていく。この子が担保だよ。」

店を開けたばかりで忙しがっていたベソ公は深く考えずに承知してしまいますが、男はいつまでたっても戻ってきません。困ったベソ公は夜に店を閉めてから行きつけの食堂「ミンディ」に少女を連れて行きます。まだあどけない幼な子を珍しがって裏町の住人たちはあれやこれやと世話を焼き始めます。マーキーと呼ばれるようになった少女は歌とダンスが得意でやがてみんなのマスコットのような存在になります。。そしてベソ公にとっては、マーキーは守るべき唯一の存在になりつつありました。表通りに綺麗な部屋を借り、車を買い、子守りを雇い…今まで死に物狂いで貯めた金を、ベソ公は湯水のように使うのです。幼いマーキーのために最良の環境を整えてやりたい。ケチでひねくれ者だったベソ公の顔つきは見違えるほど柔和になりました。彼とマーキーを見守りつつあれこれ口を出すミンディの常連たち…ささくれた日常をただ繰り返すだけだった彼らも、マーキーの無邪気さに触れ優しい心を取り戻していきます。しかしそんな日々は長く続きませんでした。健忘症にかかっていたという男とその家族がマーキーを引き取りに来て、ベソ公の「人並みに幸せな」日々は突然ピリオドを打ちます。

側から見ればベソ公もマーキーも元の生活に戻るだけといえるのですが、少々切ない余韻が残りました。マーキーの父親は競馬の掛け金の担保に娘を置いていくような男です。この男はパリで妻を捨てていました。健忘症で娘をむかえに行けなかったという理由も怪しいものです。別れた妻はすでに亡くなっています。妻の実家が資産家で老齢の義父は余命いくばくもなく相続人はマーキーしかいないと連絡が入り慌てて引き取りに来た…実際男の母親は「人は息子が妻と娘を捨てたなんていうけれど」と言い訳めいたことを口にします。男の姉も「あの結婚には反対だったけど…〝これからは〟マーキーを可愛がってやるつもり」と暗に今まではマーキーがお荷物だったかのようなことを匂わせていたりする。ベソ公にしてみれば、そんな男の元へマーキーを返して幸せになれるのか…という思いもあったでしょう。それでも莫大な財産があればマーキーの将来は、所詮裏稼業の自分と生活するよりよっぽどマシだ…ベソ公は急にマーキーと出会う前の暗く卑しい顔になって「お前の“担保”で20ドルかけた分が未払いだから払ってくれよ」といって席を立ちます。そして振り返らず出ていきました。子供に無償の愛を注ぐことで人間本来の優しさを取り戻したベソ公は、その優しさのために身を引いたのでした。…なんだか映画になりそうなストーリー…と思ったら、案の定1934年に映画化されていました。結構ヒットしたようです。

「ブロードウェイの天使」作者のアルフレッド・デイモン・ラニアン(1884ー1946)は元新聞記者。ブロードウェイの裏通りで繰り広げられる「ならず者」たちの日常を、スラングを駆使して描き続けた作家です。ミュージカルの傑作「野郎どもと女たち(Guy and Dalls)」のストーリーはラニアンのいくつかの短編を元に構成されたものだそうです。生涯ニューヨークのダウンタウンを愛したラニアンの遺灰は、遺言によりマンハッタンの上空に撒かれました。

 

 

 

ブロードウェイの天使 (新潮文庫)

ブロードウェイの天使 (新潮文庫)

 

 

 

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悲しみは地下鉄で

パンイチ男に感動させられるとは

不覚

 


モーモールルギャバン - 悲しみは地下鉄で from "Live at Zepp Tokyo 2012.6.22"

悲しみは地下鉄で見失った 僕は死ねばいい

バイトが終わった 汗もかかず終わった
ビールを飲む価値も無い 夜にさよなら乾杯
パンツくらい穿け そのまま眠る僕は
昨日の電話以来 錆び付く胸が痛い
君にキスをした 君を抱きしめた
記憶さえ無くなれば もう夜が来なければ
何も出来ないよ 何も癒えないよ
昨日の電話以来 錆び付く胸が痛い

悲しみは地下鉄で見失った 僕は死ねばいい
悲しみは地下鉄で見失った 僕は死ねばいい

風俗に行こう 友達と行こう
何もせず終わろう 日はまた昇るだろう
空虚なる笑顔 気まぐれの愛情よ
あの娘に感謝したい 明日が来なければいい
青春時代は優しくて残酷だ
今はただ一筋の光も見当たらない
青春時代は優しくて残酷だ
今はただ一筋の光も見当たらない

人間て何ですか
食えるんですか 金になりますか
人間て何ですか
食えるんですか 金になりますか

あぁ まだ外はひどいひどい雨だね

 

 

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ギターを弾く少年


Sons de Carrilhoes/João Pernambuco ショーロ/ペルナンブーコ

偶然見つけた動画を見て以来すっかりこの方のファンになっている。どこの何方かは存じ上げないが、現在小学四年生だそうだ(↑このショーロの演奏時は6歳)。動画には海外の人たちからも好意的なコメントがたくさん寄せられているようだ。彼の演奏を楽しみにしている人が一定数いることは確かで、私もその一人です。

最初に見たのは、彼が5歳(年中)、発表会(クリスマスらしい)で演奏する動画だった。


Maria Luisa/Julio Salvador Sagreras マリア・ルイサ/サグレラス

(この動画↑)登場から演奏、退場するまでの立ち居振る舞いが堂々としていてなおかつとても品があって清々しい(ギターを抱えて歩くだけでもこの年齢だと大変だと思うんですけど)。動画は数ヶ月おきにアップされていて、見るたび少しづつ成長しているのをみるのが嬉しい。わぁ、もうこんなに大きくなったんだ。またまた上手になってるね〜……って気分はもう遠い親戚のオバチャン状態です(気分だけですよ)。

クラシックギターといえば昔名曲アルバムで見た荘村清志さんくらいしか思い浮かばなかったけど(古すぎますね)、当時は子供だったので演奏より荘村さんの(アーティストならではの)独特の風貌に目がいってしまって、ちゃんと曲を聴いてなかった…。クラシックギターもなかなかいいものだなぁ…そう思うきっかけをくれた、小さなギタリストの動画でした。

こちら最新の動画↓


Study Op.6 -11/Fernando Sor エチュードOp6 -11/F.ソル

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あの日の青い空


15歳 / ウタタネ(2005.7.5 京都磔磔)

くだらないことほどよく覚えている、というのは私の性分なんだろうか。

中学生だった。晴れた日の日曜、自分の部屋のベッドで大の字になっていた。開けっ放しの窓から青い空が見える。白い飛行機が横切っていく。十年後、二十年後、自分は何をしているんだろう…ふと思った。大人になった時、今この瞬間のこと、覚えていられるかな?……よし!覚えておくぞ、忘れない、忘れない、目を瞑って呪文のように唱えた。

そして、あれからもう二十年、どころか更に加齢しているけれど(汗)、あの時の空の青、まだ覚えている。日々の暮らしの必要なこと、人の名前なんかつい「あー、あれあれ、あれなんだっけ?」と忘却の彼方にすっ飛ばしているというのに。

あのねー、君ねー、こんな田舎早くでていきたいって思ってるでしょ。でもね〜◯十年後、そこよりもーっと田舎、山奥に住んでるから。残念だったね〜。それからね、ノストラダムスの大預言は大ハズレだからね、先のことは“ちゃんと”考えなきゃダメよ、それより勉強しなさいよって…

でもね、あの四角い窓から見えた青い空を覚えているおかげで、いつでも「15歳」を思い出すことができるのです。

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エゴイストの回想

今週のお題「読書の秋」

エゴイストの回想(ダウスン)

街頭でヴァイオリンを弾くホームレスの少年は、ある日、貴族の婦人に才能を見出され彼女に引き取られます。パトロンの援助を得た彼は、数十年を経て、ヴァイオリニストとして富と名声をものにし、優雅な生活を送っています。しかしある夜、窓下から聞こえてきた手回しオルガンの音色に激しく心をかき乱され…。

捨てたはずの過去への罪悪感に苛まれる男は、一方でパトロンから与えられたStradivariusを死んでも離したくない、弾きながら死にたいとさえ思い、過去を捨てて得た今の地位に執着しています。葛藤を感傷だと自嘲し、それが音楽家としての自分を高みに導くエッセンスになることも、心のどこかでわかっている…大まかにいうとこんなストーリーです。

冷徹で自分勝手な男ですが、なぜかこの男のことを嫌いにはなれませんでした。人生の中で唯一の「温かい」思い出が、捨てた過去の中にあるのですが、それに対する男の気持ちに嘘はなく、その思い出の影を、多分一生追い続けずにはいられない。しかし、本気で取り戻す事もきっと出来ない。心の中で向き合うことはできても、現実のその後を知ることは彼の芸術にとってはマイナスでしかないのだから。

「エゴイストの回想」作者のアーネスト・クリストファー・ダウスンは19世紀末のイギリスの詩人。映画「風と共に去りぬ」や「酒と薔薇の日々」の原題はダウスンの詩から引用されたものだそうです。

作品集も出ていますが、私はポプラ社の百年文庫13巻「響」に収録されたものを読みました。

百年文庫は新書サイズのアンソロジー。一冊に三つの作品、作家の有名無名、洋邦問わず、一般にはあまり知られていない近代文学の短編小説が収められています。学生時代に読もうとして挫折した夏目漱石三島由紀夫ヘミングウェイ…も、このシリーズでは読めました。短編なら読めるかもという安心感、そして新書サイズは薄くて軽いのでバッグに入れてもかさばらない、そして字が文庫より大きい!(笑)というのがいいですね。それぞれの作家の代表作というものではありませんが、選者のセンスがいいのでしょう。百年文庫「響」には他に作曲家として有名なヴァーグナーの「ヴェートーヴェンまいり」ホフマンの「クレスペル顧問官」と音楽にまつわる短編が収められています。近代文学への入門としても、実は優れたシリーズではないかと思います。

 

(013)響 (百年文庫)

(013)響 (百年文庫)

 

 

 

アーネスト・ダウスン作品集 (岩波文庫)

アーネスト・ダウスン作品集 (岩波文庫)

 

 

 

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感想・ 羊と鋼の森(宮下奈都)

今週のお題「読書の秋」

同じ著者のエッセイ「神様たちの遊ぶ庭」を先に読んでいた。それは著者が一家で一年間北海道トムラウシへ移住した体験記で、私も都会から田舎へ引っ越し僻地で子育てをしたことがあるのでとてもとても共感できた。書けない本音もあったと察するが、行間に滲む親としての思いも汲み取ることができた。もっと早く出会いたかった本。

羊と鋼の森」の主人公の青年は、典型的な山の子だ。私には、彼のすがたが、自分の子どもや仲良くしてくれた地域の子ども達とオーバーラップして見えた。学校、保護者、地域の人たちと豊かな自然に見守られ、本当に子供らしい子供時代を送ってきた子…。

意図的ではないが結果的に純粋培養になってしまった子どもは、善意だけではない社会にとき放たれた時、ちゃんと波に乗っていけるのだろうか…少し心配しながら私はそこでの数年間子どもを育てた。僻地という、生活のあらゆる場面、選択肢がほぼないという環境で育った子は、自覚はないだろうけど、素直すぎるくらい素直で、歯痒いほど欲がない。

でも、意外とうまくやっていけるものなんだなぁ。真っ直ぐ成長して、真っ当な人間に、ちゃんとなっている。

この小説は、いつかは広い世の中へと巣立っていくであろう、トムラウシや同じような僻地の子ども達への、宮下さんからの「だいじょうぶだよ」という〝エール〟でもあるのかな、と感じた。

 

羊と鋼の森

羊と鋼の森

 

 

 

神さまたちの遊ぶ庭

神さまたちの遊ぶ庭

 

 

 

感想・唄物語「緑の匂い」(六角精児と下田逸郎)

前にちょっとだけ書いた六角精児と下田逸郎のCDの、詳しい感想です。通して聴く時間がなかなかなくて、通勤の車中で細切れに聴いてたりしてたのですが、先日久しぶりにじっくり聴いて、改めて、色々感じたことを忘れないように書いておきたいと思います。

最初にこのCDのことを知った時は、単純に、六角精児が下田逸郎のうたをカバーするのか〜と思っていました。その後「唄物語」ということがわかり、昔FMでやってた「クロスオーバーイレブン」の様にいくつかの曲の合間に掌編の「随筆風の物語」を挟んでいくスタイルなのかな?と思ったけど、ちょっと違っていました。一曲ごとにストーリーが進む、作りこまれた物語。

まずは、シュシュポポガタゴトリズムに乗って「劇的列車」の出発です。

youtu.be

イントロが始まった時は「呑み鉄本線」で美味そうに缶ビールを飲む六角精児の顔が頭に浮かびましたが、それは一瞬だけ。何せ「夢から欲望へ潜り」…「あなた気狂い 私も同じ 思う間もなく鉄橋へ」…「あしたをものともせず まっすぐ突っこんでく」のですから。どんどん日常から遠ざかり夢現の世界へ突入する感じです。

(朗読の部分については、まだ聴いていない方もいると思うので、ストーリーには触れません)

 クスの木

普通の病気

チンチロリン

先日テレビを見ていたら人気お笑いコンビが司会を務める番組に六角精児が出演していました。芸能人のプライベートを覗いてみようとかいうコーナーで、六角精児は自分の部屋で自慢のギターコレクションを披露した後、置いてあった段ボール箱の蓋を開けて見せ、せっかく作ったCDの在庫がなかなか捌けないと嘆いていました。ナレーションが〝変な曲ばっかり〜〟と、いわゆるdisってる感じで紹介していたのですが「バラエティ番組という性格上面白おかしくしたほうが視聴者の興味をひくだろう」という番組側の優しさなのでしょう…ね?(多分)。いつもは毒舌な司会者から「収録終わりに出口でサインつけて売ったらええやん」と優しく声をかけられていた六角精児。その後CDは順調に売れているのでしょうか。

下田逸郎の曲といえば詞の意味がいつも深くて、つい裏の意味を考えてしまうことが多いのですが、たまに、ほんとにたま〜にだけど「え?今なんとおっしゃいました?」と誰も居るワケないのに思わずスピーカーの方を振り向いてしまうような、ある意味ハッとする曲に出会うことがあります。ユーモアの一つかもしれないのですがついつい深読みしてしまい、どう受けとればいいか困惑するというか、ケムに巻かれる感じがするのです。それが意図なのかもしれないけど。「普通の病気」「チンチロリン」もそんな感じの曲なのですが、六角精児が歌うと彼のテレビのイメージそのまま、ちょっと〝すっとぼけた〟感じが詞ととても合っていて思わずフフッと笑ってしまいました。チロリ〜ン♫て…ねぇ(笑)

夜の火

あの時はどうも

漂々

君が好き

少しづつ物語は深くなっていくのですが…。最初にこのCDを聞いた時に一番印象に残ったのが「君が好き」という曲でした。きみがすき、きみがすき、と繰り返すところがありまして、六角精児のあの朴訥とした口調でいわれると、なんか、ちょっと、ジーーンときてしまうのですよ。「漂々(ひょうひょう)」も下田逸郎の歌唱とはまた違う良さがありました。すてきなシンキロウ追いつづけろ…というフレーズは聴く度に胸が熱くなります。

 

快楽のススメ

物語の自由

1999年のラブソング

緑の匂い

この辺になってくるとうたを聴いているというより、何か超越的な存在から啓示を受けているような気さえしてきます。「物語の自由」は「チンチロリン」の〝答え〟なのでしょうか?前に、何だったか忘れたけどテレビの中の人が「自分なんて無いの!自分探しなんてムダムダ!」と言っているのを見ました。その人のいうこともわからなくはないけど、それって一度は探してみないと辿り着けない結論かもなと思いました。でも先に誰かが教えてくれればジタバタしなくて済むのに…まだユラユラしています。

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エンディングテーマ、六角精児のひと声「打ち上がった感じで」演奏される「ひとひら」。OAアンサンブルのチームワークの良さが出ています。

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OAアンサンブル

key.大江汽笛 vl.柴田奈穂 sax.園田光博 gt.馬場光喜 ba.東ともみ ds.まんぞう

コーラス  大江朱音 青木香奈子 小池妙子 林由香理

「緑の匂い」CDは、ひとひらconnection(下田通信所)にて通信販

http://www.t-chest.jp/shimoda/

 

最近になって下田逸郎ソニー時代のベスト盤と「さりげない夜」「夜の踊り」の配信が始まったようですね。聴いたことがない歌もあるので興味が湧きます。でも、自分が疎いからだと思うんですが、配信なんて“フワフワしたもの”ど〜もイマイチ、ピンとこないんですよねぇ…「消えないの?消えたらどうするワケ?」若者に訊いて、物凄くバカにされまして、その後色々教えて貰いました。でもねぇ…

おばさんはブツが欲しいのよ、やっぱ目の前にブツがなきゃ(←ちょっと悪ぶって言ってみました)

チロリ〜ン♪( ´θ`)ノ