百年文庫「空」

 

(055)空 (百年文庫)

(055)空 (百年文庫)

 

早春の美しい朝、画家になることを決意したその日から、いくの の新しい人生が始まった。理想の生活をひたむきに追い求め、辿りついたあまりにも無垢で素朴な生(北原武夫『聖家族』)。酒場の匂い、群衆のざわめき…、故郷を捨て、アメリカでの人生を選んだ男の目に鮮やかに浮かんだ景色とは(ジョージ・ムーア『懐郷』)。結婚生活のほとんどを闘病に費やした妻と、彼女の死を看取った「私」。諦念、しかし希望を予兆させる強靭な魂の記録(藤枝静男『悲しいだけ』)。人生を生き抜こうとする者たちの強さが圧倒的な三篇。

 

 

北原武夫「聖家族」

奇妙な話。これは寓話のようなものと捉えればいいのか。じゃなきゃ極端すぎる。しかし感動に近い読後感があったのも事実。

無垢とひたむきのブルドーザー…主人公「いくの」…が、身の程の壁をぶち破り常識をなぎ倒しながら一本道を突き進む。ある日、二度目の夫…これがまた無職のくせに生活力だけはあるというフシーギな男なんだけど…彼の助言で一切の仕事を辞めてしまう。一家は火事で家を失い、焼け跡で極めて原始的な生活を始める。時代は太平洋戦争末期。世の中の流れに〝敢えて〟背を向け生きる(しかし孤立はしていない)家族の行く末は…。含みのある結末だけど、私は彼らが未来へ向かったと信じたい。

前半、夢に向かって驀進する「いくの」に呆れてしまったのは、私が今不寛容な世界に生きているからなのか。この作品が発表されたのが1947年ということを踏まえると、色々思う事が出てくる。長い戦争が終わり、価値観が逆転した世界を目の当たりにした、作者からのメッセージが込められていると思う。

 

 

ジョージ・ムーア「懐郷」

体調を崩し、アイルランドへ帰郷した男。一度でも故郷を離れて暮らしたことのある人なら、誰しも覚えがあるんじゃないか。田舎の景色の懐かしさ、旧知の煩わしさと温かさ、それと嫌悪感が交互に押し寄せる、波のような感情。

無数の「捨てたこと」「やめたこと」「選ばなかったこと」の積み重ね、その上に人は立っている。捨て去ったと思った物は、意外と足元に転がったまんまだったりする。時々チラッと視界に入ったり、不意に躓いたり、気まぐれで拾い上げてみたり。人生はスモーキーマウンテンの上、なんて言ったら身も蓋もなくなるかしら。しかし捨てたものをなかったことにして「うまくやった話」より余程リアルで胸に迫ってくる。勝つか負けるか、成功か失敗か、幸せか不幸せか…単純な比較では語りえない、人生の物語。

 

藤枝静男「悲しいだけ」(随筆)

著者の職業は医師。自然の中に身を置き、妻を亡くした喪失感と向き合う。「妻が死んで悲しい、という感情が、塊のようになって、物質のように実際に存在する」という。

墓の前に立ち、その下に眠る人たちとの記憶を手繰り寄せてみる。亡くなった妻は間もなく、そして自分もいずれは此処に入る…

死者を思い出す…それは死者との対話でもあるのですね。人は死んだら終わりというけれど、そりゃまあそうに違いないけど、身近な人の死を経験したあと、自分の人生を重ねてみて、初めてわかることってあるよね。長い年月を経てからあらためて向き合うと、ちょっと違う思いが芽生えてくる。それが遠い世界から話しかけられたような不思議な感覚になることがある。

この人はお医者さんだから、職業柄、人が死に向かっていく様も、生きようとする様も、具に見た経験がある。立ち塞がる強固な悲しみを、冷静に分析整理しようとする。生きていかねばならぬから。

 

百年文庫「空」

三つとも根源的な話だった。いつの時代も、どんな場所でも、人は空を見上げながら、綿々と生活を紡いできた、ということか。

過去も未来も今いる場所も二度と戻れない場所も、みんなおおきな空の下(もと)に続いてる

 

面白い、というのとは違うんだけど、なかなか読み応えのある三作だった。自分の好みで選んでいたら出会えない作品だった。十代二十代で読んでもサッパリわかんなかったと思う。今だって全部分かったとは思ってない。

 

 

 

しっくりくる言葉がなかなか見つからず、借り物の靴を履いて歩いたような気持ち悪い文章になってしまった。あとでしれっと書き直す。